ご入学をお待ち申し上げます。

志溢れる皆様のために
全員合格モットーに
年中無休で応援します


 九州不動産専門学院グループ
 代表 小菅亥三郎

 - 『ライセンスメイト』(平成21年9月15日発行)の「グループ代表あいさつ」より -

 昭和55年に九州不動産専門学院を開校して以来、月日の経つのは早いもので本年で30年の歳月を数え、お蔭様で今や4校を擁するグループとなりました。
これは社会人の皆様の目指される国家資格や高卒生・大卒生の希望進路に対応した必然的な学校区分であります。
 宅地建物取引主任者をはじめとする不動産系国家資格の九州不動産専門学院、司法書士等の法律系国家資格の九州法律専門学院、建築士・施工管理技士を中心とした国家資格の九州建設専門学院の3校は、今や地元九州をはじめ全国の皆様から「私たち社会人のための堅実で信頼に値する不動産・法律・建設の専門学校」として認知されるにいたっております。
 一方、不動産業に進路を定めた高卒生・大卒生のための「専門学校ライセンスカレッジ」(昭和43年創立)はわが国では最古の伝統を誇るとともに唯一の不動産専門学校として有為な人材を業界におくり続けております。ちなみにこの部門(全日制)では公務員を志望する若人のために「九州公務員専門学院(開設準備室)」も発足(平成21年10月)させました。
 さて、私たちは国家資格に挑まれ、その取得と活用により国家貢献と自己実限を目指されている皆様のために次のような使命感をもって奉仕しています。
 その第一は社会人の皆様から国家百年の大計たる教育事業を任されているという自覚に立つがゆえに、「教育勅語」に立脚した方針ですべての学校事業を運営しています。
 第二は健全な「住まいと町づくり、国づくりのための学校」としてグループ校を特化してまいります。世界に誇る今日のわが国の町並や家並、完備された膨大な社会的インフラ網、そして昼夜兼行で機能している道路や鉄道・港湾・空港のネットワーク等、すべて私たち日本民族の営々たる努力の賜物であります。そのためには大前提としてこれらの大事業にたずさわる国民(=働き手)を育成する「人づくりの学校」が不可欠であります。
 第三は趣味的なものは一切排し、実利的な国家資格に限定した講義を提供いたします。なぜならばこれらの資格は住まいづくりや町づくり・国づくりのみならず、働き手である皆様の昇進や昇給、転職や独立に直結するからです。社会人の皆様が汗を流して蓄えたものを受講料として納入していただくわけですから、合格のみならず諸々の実利の伴ったご恩返しをしていかなければなりません。
 第四は今後も生講義を貫いていきます。機械講義や映像授業により納入された受講料に占める顧客還元比率を最小限におさえる経営は企業的には正しくても、教育にたずさわる立場としては必ずしも適切な対応とはいえません。「教育の究極」は教材でも授業でもありません。それは「感化」です。人と人との直接的なふれあいのない講義や授業はたとえ何年通っても何の感動も覚えません。いわんや感化など論外というものです。
 第五は高質で人間味溢れる生講義と長年の合格実績の結果、天から授かりました同窓会・九栄会の皆様とともにこれからも出会いの場の創出に取り組んでまいります。「卒業式・祝賀会・謝恩会」での一期一会、「日華(台)親善友好慰霊訪問の旅」での国境を越えた魂の邂逅、「StyleFM日曜討論」番組を通しての国づくりのための同志的ふれあいなど、さまざまな人間関係構築の場がありますが、人間的に磨き合い、学び合い、助け合える環境を作り続けていくことは、社会人の皆様に合格していただくことに勝るとも劣らぬ業務であります。
 第六は30年に亘って培ってきた以上のような学校文化や、価値感を広く世に発信していく努力も怠らないようにします。日陰の善行を日向にもっていく作業ほど軽視されてきたものはありません。
「義は勇に因りて行い、勇は義に因りて長ず」を地で行ってまいります。まさに「善事を為すに、躊躇する勿れ」です。
 最後になりますが、第七は受講生の皆様に信頼され喜ばれる学校づくりに邁進する私たち自身が終生働くことのできる職場づくりにも配慮してゆく所存です。仕事をすればするほどに国家貢献が体感でき、歴史参画が刻印されるような業務メニューを作り上げ、「健康で働く職場があり、打ち込める仕事があれば万事幸せ」という価値観の確立にむけて内政面も充実させていきます。かくなる努力なくしては、人生を捧げる場所としての職場を確固不動なものにし、その中で当事者意識に燃えながら永続的なサービスを提供し続けることは不可能ではないでしょうか。
 全国に数ある受験指導校の中から当学院を選んで下さった受講生に安価で良質の講義を提供し続けていくには、回り道ではありますが、以上展開させていただいた道を進む以外には考えられません。
 わが国・日本の明日を担っていくために入学された皆様方のためになることでしたら、私どもはどんなことも厭わず対応させていただきます。
 今日も訪れる志溢れる皆様を私たちは一丸となって応援いたします。そのために年中無休で門戸を開放しています。
 ホームページをご覧になられたあなたも早速、私どもの門を叩いてみませんか。必ず未来への扉は開かれるはずです。

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合格おめでとうございます。

人は城 人は石垣 人は堀
情は味方 仇は敵なり
           (武田信玄)


 九州不動産専門学院グループ
 代表 小菅亥三郎

 - 『ライセンスメイト』(平成21年12月15日発行)の「グループ代表あいさつ」より -

 昭和60年12月に淵源をもつ本日の集いも25回目の開催となった。『光陰矢の如し』とはこのことで全ての人が25歳年波を教えたことになる。
 昭和59年の夏から入学開始された昭和60年度生632名のうち、目的の資格を取得された125名の皆様と合格の喜びを共にしようと開始されたパーティーだったが、思いがけないお土産に恵まれた。それは会場に居合わせたある合格者(当時60歳)による同窓会設立の呼びかけである。会場の皆様の拍手によって迎えられたその提案こそが、今日の「九栄会」の始まりであった。その旅、度重なる打ち合せを経て、昭和62年4月の第1回総会にこぎつけることができた。こういう経緯もあり、九栄会へのお誘いは例年12月の「卒業式・祝賀会・謝恩会」の場で実行することにしている。
 人生の転機を賭け、あるいは社業の隆昌を託され期待され、あえて「働きながら学び、学びながら働く」道を選択された皆様に対する、学校サイドからの感謝の心をいかにして形にすることができるか、という問題意識のもと「継続は最大の力」を合言葉にひた走ってきた25年であった。
 己自身でひそかに決心し、勉強し、合格し、実社会でその資格を人知れず役立たせていくのもひとつの生き方であろう。しかし、社会的使命を自覚し、周囲の賛同と応援を背に受け、同じ教室で他の受講生と共に机を並べ栄冠をかちとっていく生き方の方がはるかに生産的である。それは人間関係の真っ只中に身を置き、目的を共有しながらも互いに競い合い、結果に対しては率直に健闘を讃え合う関係をかちとれるからだ。
 私たちは好むと好まざるとに関わらず、他の人の力を借りない限り一瞬たりとも生きていくことはできない。だからこそ、地域や職場や趣味の領域とは別の次元ではあるが、資格取得という志の分野での人間関係にとびこんで下さった皆様の勇気と先見性、そして所期の目的を達成された努力は驚嘆に価する行為なのだ。
 合格された皆様はこれからいよいよ「路上教習の試験結果」が実際の一般道路で試されることになる。安全運転にこしたことはないが、時には事故に合うかもしれない。あるいは予定の時刻や年月までに目的地に到達しないことだってある。しかし、そういう時に頼りになるのは一体何だろうか。それは人以外の何物でもない。であるならば同じ学び舎で競い合った仲間をまず第一の人脈に加えていただきたいものである。私はそれが『ふれあい 学びあい 助け合い』をモットーをする九栄会の役割だと思っている。
 個人的栄達といっても、その中に社会的な公益性が見出せない限り、人は見向きもしない。成功の頂(いただき)に落下傘で降下する方法がない限り、私たちは例外なく下から登っていかなければならず、そのためには行く先々での人との出逢いを余すことなく味方にしていく意気込みが必要だ。
 効率一辺倒の時代風潮の中であえてまわり道をされた皆様に敬意を表すると共に、これからの人生も大いに迂回していただき、そこで出逢われる人を味方にしながら一歩一歩成功の山道を踏みしめていかれることを祈念し、本日の門出をお祝する餞の言葉にかえさせていただきます。

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家門に恥じない生き方をして下さい。

凡 生ヲ我國 ニ稟クルモノ
誰カハ國ニ報ユルノ心ナカルヘキ
              (軍人勅諭)

(我国に生を受けて一体お国のために報いようとしない人がこの世にいるであろうか)

 九州不動産専門学院グループ
 代表 小菅亥三郎

 - 第25回九州不動産専門学院グループ卒業式・祝賀会・謝恩会(平成21年12月20日開催)における「グループ代表あいさつ」より -

 私事(わたくしごと)で恐縮ですが、父の小菅紀武吾(〔曾祖父〕小菅庄吉の長男である〔祖父〕小菅與四郎の三男として大正八年二月十一日生、平成十七年四月三十日没)は、「ニ・ニ六事件」の余韻も冷めやらぬ昭和十一年六月、大日本帝國海軍に志願し、横須賀海兵団に入営しました。十七歳の時です。軍隊では戦艦陸奥等での艦船勤務や方々の海軍航空隊での陸上勤務を経た後、霞ヶ浦海軍航空隊で予科練の教官になりました。そういう父が、看護婦だった母との新婚生活も早々に米軍と一戦を交えるべくフィリピンに赴任したのは昭和十九年六月のことでした。その後、ルソン島北端ツゲガラオの海軍航空隊基地にいた父に再び霞ヶ浦への転属命令が下りました。(内地での教官不足を歴戦の実戦経験者で補う意図であったと聞き及んでおります。)
 二十四人乘りの輸送機に搭乗し基地を飛びたった昭和二十年二月十一日は、父の二十六歳の誕生日でもありました。基地を離陸し一路高雄(台湾)へと向かう途中、飛行機は原因不明のエンジントラブルを起こしたため、やむなく引き返しルソン島からバシー海峡へ流れ出るカガヤン川へ不時着しました。十一日深夜のことです。川の東側は米軍制圧地域でしたが、そちらに上陸せざるを得なくなり、結局二十四名中二十三名が銃撃され戦死しました。身に寸鉄を帯びず川に飛び込み対岸にたどりついた父は、そこから四十数キロも離れているツゲガラオまで裸足で走って帰還しました。しかし、そういう父たちの健闘も空しくわが国は敗れました。
 マニラ郊外のカランバン収容所での捕虜生活の後、昭和二十一年暮れに復員してきた父と母の間に小菅家の三男として生まれたのが私です。出生時は「お産婆さん」が間に合わず父が取り上げてくれました。母は私を出産しながら父に色々と指示をし、父もその通りに対応した結果、無事に産声を上げたということです。カガヤン川で戦死された二十三名の命は、こうして戦後に引き継がれました。
 以上のようなことを幼いころからずっと聞かされて育てられた私は妹二人の面倒を見ながら、小六から高三までの八年間、新聞配達をして過ごしました。小六から高三までずっと級長をしていたにもかかわらず勉強のためにまとまった時間がとれなかったお陰で、端切れの時間を有効に活用する名人になれました。机も椅子もいりません。テレビの最大音量の真前であろうと駅の雑踏の中であろうと何の苦もなく勉強できるようになりました。
 私が働きながら学び、学びながら働く皆様を生涯の奉仕の対象にしたのは、自分自身の幼い頃の経験と無縁ではありません。家業の食料品店の店番と新聞配りをしながら年中無休で家計を支えてきたからこそ、今日に至るも年中無休で働けると思います。
 死ねば永遠に休暇が取れます。ですから生きている限りは年中無休で世の為、人の為、国の為に尽くして下さい。これが合格者の皆様へのお願いです。それから私の生いたちにも述べてますように、ご両親様やご先祖様にたえず思いを馳せ家門に恥じない生き方をして下さい。
 フィリピンの話に戻りますが、レイテ沖海戦における特攻を含む父たちの働きがなければわが国はもっと悲惨な目に逢っていました。史上最強の誉れ高き皇軍である帝國陸軍の玉砕を恐れぬ働きがあったればこそ米軍の侵攻がくい止められ、友軍の円滑な撤収が保証されたのです。私たち日本人の先輩は四百年以上に及ぶアジアにおける白人の植民地支配を完全に終焉させ、その権益をすべて失わせしめました。大化十九年の白村江の戦いに続いて史上二度目の軍事的敗北を余儀なくされたとはいえ、戦争目的を達した点からいえば世界史的な大勝利です。今日の民族自決、自立の現状はまさに私たちの先輩の偉大な働きのお陰であります。
 国家の尊厳と民族の名誉を守る為に命を賭けて戦った父や、同じく命を賭けて子供を生み育てた母たちのお陰で今日のわが国の主権と繁栄があります。決してこのことを忘れないで下さい。不況よりも倒産よりも恐ろしいのは「志を失うこと」、「親の恩を忘れること」、「ご先祖様に対する尊崇の念を抱かないこと」、そして「国に誇りをもたないこと」であります。
 米国の海軍兵学校(アナポリス)や陸軍士官学校(ウエストポイント)の校門に「戦いは悲惨だ。しかしその戦いに負けることはもっと悲惨だ。」との標語が掲げてありますが、合格された皆様は少々の苦しみや困難はものともせずに己の信じる道を真一文字に進んでいって下さい。そして『凡 生ヲ我國 ニ稟クルモノ誰カハ國ニ報ユルノ心ナカルベキ』(軍人勅諭)の心意気も新たに、『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ』(教育勅語)ることのできる日本人に是非なっていただきたいと切に念願する次第です。

※小菅紀武吾「生き残り人生の記」 平成九年六月一日刊(祥文社印刷)
※小菅與四郎「東國戰記實録」(東国戦記実録) 大正十五年十二月二十日刊(東京印刷)

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歌集を贈呈します。

かつて日本人は歌を唄い、詞を覚えることで公心(おおやけごころ)を
身につけていきました。歌は団結であり、共同体そのものでありました。


 九州不動産専門学院グループ
 代表 小菅亥三郎

 - 第25回九州不動産専門学院グループ卒業式・祝賀会・謝恩会(平成21年12月20日開催)における「グループ代表あいさつ」より -

 本年度合格された皆様 誠におめでとうございます。
 私たちは「働きながら学び、学びながら働く」皆様のために今年もご奉仕できましたことをうれしく思います。これからは皆様が主役になられ、当学院グループで取得された資格を存分に駆使され、世の為、人の為、国の為、そして子孫の為に貴い働きをされることを希望します。そこで本日は皆様に歌集を贈呈させていただくことにしました。その理由は、これらは全て私たちの職場で毎日流されている曲で、必ず皆様の人生の節目でお役に立つことがあると思うからです。
 少々古いものもありますが、この頃の歌には力がありました。国を作り、守っていく力がありました。民をまとめ国民にしていく力がありました。東亜を主導し、抑圧された民族を解放していく力がありました。親たちの喜びや涙を子や孫に伝えていく力がありました。
 かつて日本人は歌を唄い、詞を覚えることで公心(おおやけごころ)を身につけていきました。学歴は乏しくても歌を唄えば道理(ことわり)がわかる子になりました。ひもじい思いをしても力強い旋律が心に躍動を与えてくれました。歌を唄えば皆がその場ですぐ兄弟になれ、仲間になれました。歌は団結であり、共同体そのものでありました。
 しかし、進駐軍がひとつひとつ潰してしまいました。同調する日本人が輪をかけました。「友愛精神」や「反戦平和」という耳障りのいいスローガンや「人権教育」や「生命の教育」なる美名のもとに自己中心的な考え方が蔓延し、個人主義・利己主義が大手をふってのし歩いています。
「巧言令色鮮仁」とはまさにこのことではないでしょうか。
 合格された皆様、関係者の皆様におかれましては、今日の佳き日を祈念して、この領域でも立派な日本人になって下さい。歌える人が一人もいなくならないように、五線譜がわが国から廃棄されないように、そして歌を忘れたカナリヤにならないように。

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参考/建学の精神
資料/五箇条の御誓文

五箇条の御誓文 【慶応4年3月14日】

 出典『詔勅集』(財団法人偕行社刊)
 解説明治天皇が臣下を率いられ、天地の神々に対して政治一新をお誓いになり、明治国家建設の指針とともに国民に対して協心努力を呼びかけられた内容です。末尾には、天皇御自らが先頭に立って「萬民保全の道を立てんとす」との御決意が述べられ、「天皇国日本」の国柄が明示された文章です。明治維新後、この「御誓文」が指針となり、公議輿論を重んじ、国民の叡智が結集されていく新たな体制が生まれ、世界の進運に伍していく近代国家・日本が誕生しました。


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資料/軍人勅諭

陸海軍人に賜わりたる勅諭 【明治15年1月4日】

 出典『詔勅集』(財団法人偕行社刊)
 解説明治維新後、列強からの圧力を撥ね退け、独立国家を維持していくためには精強な国家が必要でした。国民皆兵制を敷き、海外諸国の軍事制度を取り入れましたが、最も大切なものは国軍の本義であり、軍人の精神でした。軍人勅諭によって皇軍(天皇の軍隊)の誉と武士道に基づく軍人の道が諄々と訓論され、教育勅語とともに明治・大正・昭和の国民の精神生活を支える基となりました。やがては世界無比の軍隊を生み、大東亜戦争においては数百年に亙る欧米のアジア侵略を打破する偉業を成し遂げました。


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資料/教育勅語

教育に関する勅語 【明治23年10月30日】

 出典『詔勅集』(財団法人偕行社刊)
 解説明治5年に学制が発布され、教育の普及が始まりました。同時に当時の先覚者によって欧米の思想や学術が次々と翻訳輸入されました。海外の事情の把握や文明水準の向上には多大な貢献がある一方、欧化主義が流行し、国民固有の精神が揺らぎ、伝統的な美風が崩れていきました。明治19年に東京帝国大学を行幸された明治天皇も、最高の学府において人倫道徳の教育が不十分であることを憂慮されました。紀元2550年にあたる明治23年、国民精神の帰趨すべきところを国民にお示しになったのが教育勅語です。天皇御自身が「みなその徳を一にせん」と仰せられた、不朽の国民道徳の詔です。


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資料/開戦勅語

米英両国との開戦に際し陸海軍人に賜わりたる勅語 【昭和16年12月8日】

 出典『詔勅集』(財団法人偕行社刊)
 解説昭和天皇は、わが国を政治的に孤立化させたのみならず、経済封鎖をもって包囲する英米の重圧をはね返すため、国家の自存自衛と東亜解放の戦いに決起するにあたり、国軍兵士(陸海軍人)に予め覚悟を固めさせました。彼らが明治維新、西南の役、日清・日露の戦役を戦い抜いてきた百戦錬磨の強兵(つわもの)であり、股肱と頼むに足れるからこそ、発せられた御言葉でありました。『孫子』に曰く「道とは、民をして上と意を同じくし、これと死すべくこれと生くべくして、危きを懼れざるなり」と。


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資料/宣戦の詔書

米英に対する宣戦の詔書 【昭和16年12月8日】

 出典『詔勅集』(財団法人偕行社刊)
 解説大東亜戦争の開戦に際して国民に発せられた詔です。この詔書では、明治以降のわが国の国是と開戦に至った経緯、征戦の目的が明らかにされています。わが国は「東亜の安定」や「世界平和」への寄与、また多くの国々との共存共栄に努めてきましたが、東洋制覇の野望を抱く欧米が中華民国を支援したため支那事変は長期化し、また平和通商の妨害や経済断交によって存亡の危機に立たされました。ここに至ってわが国は自存自衛のために決然と立ち上り、東洋の永遠の平和のために挙国一致で戦いに臨みました。大東亜戦争はわが国の自衛のみならず、アジアの自由と独立をも勝ち取る目的を達成しました。


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資料/終戦の詔書

大東亜戦争終戦の詔書 【昭和20年8月14日】

 出典『詔勅集』(財団法人偕行社刊)
 解説わが国は自存自衛と東亜の安定のために挙国一致、軍官民一体になって戦いました。4年に亙る壮絶な戦いも、米国を中心とする欧米列強の多勢、そして国際条約を反故にしたソヴィエトの参戦などにより戦局は好転せず、国家と民族の存続を図るため昭和天皇は米英支蘇による共同宣言の受諾を決意されました。敗戦と云う国家未曾有の国難に対し、「神州の不滅を信じ」「道義を篤くし」「志操を鞏くし」「国体の精華を発揚し」と国民に教諭され、国家再建への指針を示されました。常に日本民族が立ち還るべき原点の詔です。


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資料/終戦勅語

大東亜戦争終戦に際し陸海軍人に賜わりたる勅語 【昭和20年8月17日】

 出典『詔勅集』(財団法人偕行社刊)
 解説昭和天皇は、わが国の自存自衛と東亜解放のために、第一線で身命を賭して戦われた国軍兵士(陸海軍人)を誠心をもって慰(ねぎら)われました。そして、変わることのない団結を戦後も堅持し、国家再建の礎になるよう命じられました。かくして、復員軍人を含め900万人以上にのぼるかつての兵士は戦後復興に全力を尽したのです。それが瓦礫の山から僅か19年で東京オリンピックを開催させた原動力なのです。


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資料/戦陣訓

戦陣訓 【昭和16年1月8日】

 出典『戰陣訓讀本』(株式會社三省堂刊)
 解説陸軍大臣東條英機の名によって出された戦陣道徳昴揚のための指南書で、世界史上最強の誉も高い帝国陸軍の真髄が遺憾なく網羅されています。「本訓 其の二」の「第八 名を惜しむ」に述べられた「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」は『軍人勅諭』の「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」と対をなし、玉砕をも恐れぬ戦闘集団を作りあげました。そのため、個々の戦闘ではたとえ敗れることはあっても、「潰走」ではなく、秩序だった「撤退」が実現できたのです。


戦 陣 訓


陸軍省:著

  序


 夫れ戦陣は、大命に基き、皇軍の神髄を発揮し、攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち、遍く皇道を宣布し、敵をして仰いで御稜威の尊厳を感銘せしむる処なり。されば戦陣に臨む者は、深く皇国の使命を体し、堅く皇軍の道義を持し、皇国の威徳を四海に宣揚せんことを期せざるべからず。
 惟ふに軍人精神の根本義は、畏くも軍人に賜はりたる勅諭に炳乎として明かなり。而して戦闘竝に訓練等に関し準拠すべき要綱は、又典令の綱領に教示せられたり。然るに戦陣の環境たる、兎もすれば眼前の事象に促はれて大本を逸し、時に其の行動軍人の本分に戻るが如きことなしとせず。深く慎まざるべけんや。乃ち既往の経験に鑑み、常に戦陣に於て勅諭を仰ぎて之が服行の完璧を期せむが為、具体的行動の憑拠を示し、以て皇軍道義の昂揚を図らんとす。是戦陣訓の本旨とする所なり。

 

  本 訓  其の一


第一 皇  国


 大日本は皇国なり。万世一系の天皇上に在しまし、肇国の皇謨を紹継して無窮に君臨し給ふ。皇恩万民に遍く、聖徳八紘に光被す。臣民亦忠孝勇武祖孫相承け、皇国の道義を宣揚して天業を翼賛し奉り、君民一体以て克く国運の隆昌を致せり。
 戦陣の将兵、宜しく我が国体の本義を体得し、牢固不抜の信念を堅持し、誓つて皇国守護の大任を完遂せんことを期すべし。

第二 皇  軍


 軍は天皇統帥の下、神武の精神を体現し、以て皇国の威徳を顕揚し皇運の扶翼に任ず。
 常に大御心を奉じ、正にして武、武にして仁、克く世界の大和を現ずるもの是神武の精神なり。武は厳なるべし仁は遍きを要す。苟も皇軍に抗する敵あらば、烈々たる武威を振ひ断乎之を撃砕すべし。仮令峻厳の威克く敵を屈服せしむとも、服するは撃たず従ふは慈しむの徳に欠くるあらば、未だ以て全しとは言ひ難し。武は驕らず仁は飾らず、自ら溢るるを以て尊しとなす。皇軍の本領は恩威並び行はれ、遍く御綾威を仰がしむるに在り。

第三 軍  紀


 皇軍軍紀の神髄は、畏くも大元帥陛下に対し奉る絶対随順の崇高なる精神に存す。
 上下斉しく統帥の尊厳なる所以を感銘し、上は大意の承行を謹厳にし、下は謹んで服従の至誠を致すべし。尽忠の赤誠相結び、脈絡一貫、全軍一令の下に寸毫紊るるなきは、是戦捷必須の要件にして、又実に治安確保の要道たり。
 特に戦陣は、服従の精神実践の極致を発揮すべき処とす。死生困苦の間に処し、命令一下欣然として死地に投じ、黙々として献身服行の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり。

第四 団  結


 軍は、畏くも大元帥陛下を頭首と仰ぎ奉る。渥(アツ)き聖慮を体し、忠誠の至情に和し、挙軍一心一体の実を致さざるべからず。
 軍隊は統率の本義に則り、隊長を核心とし、鞏固にして而も和気藹々たる団結を固成すべし。上下各々其の分を厳守し、常に隊長の意図に従ひ、誠心を他の腹中に置き、生死利害を超越して、全体の為己を没するの覚悟なかるべからず。

第五 協  同


 諸兵心を一にし、己の任務に邁進すると共に、全軍戦捷の為欣然として没我協力の精神を発揮すべし。
 各隊は互に其の任務を重んじ、名誉を尊び、相信じ相援け、自ら進んで苦難に就き、戮力協心相携へて目的達成の為力闘せざるべからず。

第六 攻撃精神


 凡そ戦闘は勇猛果敢、常に攻撃精神を以て一貫すべし。
 攻撃に方りては果断積極機先を制し、剛毅不屈、敵を粉砕せずんば已まざるべし。防禦又克く攻勢の鋭気を包蔵し、必ず主動の地位を確保せよ。陣地は死すとも敵に委すること勿れ。追撃は断々乎として飽く迄も徹底的なるべし。
 勇往邁進百事懼れず、沈著大胆難局に処し、堅忍不抜困苦に克ち、有ゆる障碍を突破して一意勝利の獲得に邁進すべし。

第七 必勝の信念


 信は力なり。自ら信じ毅然として戦ふ者常に克く勝者たり。
 必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。
 勝敗は皇国の隆替に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝し、勝たずば断じて已むべからず。


  本 訓 其の二


第一 敬  神


 神霊上に在りて照覧し給ふ。
 心を正し身を修め篤く敬神の誠を捧げ、常に忠孝を心に念じ、仰いで神明の加護に恥ぢざるべし。

第二 孝  道


 忠孝一本は我が国道義の精粋にして、忠誠の士は又必ず純情の孝子なり。
 戦陣深く父母の志を体して、克く尽忠の大義に徹し、以て祖先の遺風を顕彰せんことを期すべし。

第三 敬礼挙措


 敬礼は至純なる服従心の発露にして、又上下一致の表現なり。戦陣の間特に厳正なる敬礼を行はざるべからず。
 礼節の精神内に充溢し、挙措謹厳にして端正なるは強き武人たるの証左なり。

第四 戦 友 道


 戦友の道義は、大義の下死生相結び、互に信頼の至情を致し、常に切磋琢磨し、緩急相救ひ、非違相戒めて、倶に軍人の本分を完うするに在り。

第五 率先躬行


 幹部は熱誠以て百行の範たるべし。上正しからざけば下必ず紊る。
 戦陣は実行を尚ぶ。躬を以て衆に先んじ毅然として行ふべし。

第六 責  任


 任務は神聖なり。責任は極めて重し。一業一務忽せにせず、心魂を傾注して一切の手段を尽くし、之が達成に遺憾なきを期すべし。
 責任を重んずる者、是真に戦場に於ける最大の勇者なり。

第七 死 生 観


 死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。
 生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。身心一切の力を尽くし、従容として悠久の大義に生くることを悦びとすべし。

第八 名を惜しむ


 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。
 生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。

第九 質実剛健


 質実以て陣中の起居を律し、剛健なる士風を作興し、旺盛なる士気を振起すべし。
 陣中の生活は簡素ならざるべからず。不自由は常なるを思ひ、毎事節約に努むべし。奢侈は勇猛の精神を蝕むものなり。

第十 清廉潔白


 清廉潔白は、武人気節の由つて立つ所なり。己に克つこと能はずして物慾に捉はるる者、争でか皇国に身命を捧ぐるを得ん。
 身を持するに冷厳なれ。事に処するに公正なれ。行ひて俯仰天地に愧ぢざるべし。


  本 訓 其の三


第一 戦陣の戒


一 一瞬の油断、不測の大事を生ず。常に備へ厳に警めざるべからず。
  敵及住民を軽侮するを止めよ。小成に安んじて労を厭ふこと勿れ。不注意も亦災禍の因と知るべし。
二 軍機を守るに細心なれ。諜者は常に身辺に在り。
三 哨務は重大なり。一軍の安危を担ひ、一隊の軍紀を代表す。宜しく身を以て其の重きに任じ、厳粛に之を服行すべし。
  哨兵の身分は又深く之を尊重せざるべからず。
四 思想戦は、現代戦の重要なる一面なり。皇国に対する不動の信念を以て、敵の宣伝欺瞞を破摧するのみならず、進んで皇道の宣布に勉むべし。
五 流言蜚語は信念の弱きに生ず。惑ふこと勿れ動ずること勿れ。皇軍の実力を確信し、篤く上官を信頼すべし。
六 敵産、敵資の保護に留意するを要す。
  徴発、押収、物資の燼滅等は総て規定に従ひ、必ず指揮官の命に依るべし。
七 皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無辜の住民を愛護すべし。
八 戦陣苟も酒色に心奪はれ、又は慾情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深く戒慎し、断じて武人の清節を汚さざらんことを期すべし。
九 怒を抑へ不満を制すべし。「怒は敵と思へ」と古人も教へたり。一瞬の激情悔を後日に残すこと多し。

 軍法の峻厳なるは特に軍人の栄誉を保持し、皇軍の威信を完うせんが為なり。常に出征当時の決意と感激とを想起し、遙かに思を父母妻子の真情に馳せ、仮初にも身を罪科に曝すこと勿れ。

第二 戦陣の嗜


一 尚武の伝統に培ひ、武徳の涵養、技能の練磨に勉むべし。
  「毎事退屈する勿れ」とは古き武将の言葉にも見えたり。
二 後顧の憂を絶ちて只管奉公の道に励み、常に身辺を整へて死後を清くするの嗜を肝要とす。屍を戦野に曝すは固より軍人の覚悟なり。縦ひ遺骨の還らざることあるも、敢て意とせざる様予て家人に含め置くべし。
三 戦陣病魔に斃るるは遺憾の極なり。特に衛生を重んじ、己の不節制に因り奉公に支障を来すが如きことあるべからず。
四 刀を魂とし馬を宝と為せる古武士の嗜を心とし、戦陣の間常に兵器資材を尊重し、馬匹を愛護せよ。
五 陣中の徳義は戦力の因なり。常に他隊の便益を思ひ、宿舎、物資の独占の如きは慎むべし。
  「立つ鳥跡を濁さず」と言へり。雄々しく床しき皇軍の名を、異郷辺土にも永く伝へられたきものなり。
六 総じて武勲を誇らず、功を人に譲るは武人の高風とする所なり。
  他の栄達を嫉まず己の認められざるを恨まず、省みて我が誠の足らざるを思ふべし。
七 諸事正直を旨とし、誇張虚言を恥とせよ。
八 常に大国民たるの襟度を持し、正を践み義を貫きて皇国の威風を世界に宣揚すべし。
  国際の儀礼亦軽んずべからず。
九 万死に一生を得て帰還の大命に浴することあらば、具(ツブサ)に思を護国の英霊に致し、言行を慎みて国民の範となり、愈々奉公の覚悟を固くすべし。


  結


 以上述ぶる所は、悉く勅諭に発し、又之に帰するものなり。されば之を戦陣道義の実践に資し、以て聖諭服行の完璧を期せざるべからず。
 戦陣の将兵、須く此の趣旨を体し、愈々奉公の至誠を擢んで、克く軍人の本分を完うして、皇恩の渥きに答へ奉るべし。

(陸軍省、昭和一六年一月)


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