トップ営業では社員は育たない
 私事で恐縮だが、平成12年10月に当社(九州不動産専門学院)は天神地区の新築ビルに住所を移転した。移転先は天神121ビルの最上階である。ここからの眺望は素晴らしく、窓から天神中央公園の緑が見下ろせる。創業以来30年間、厳しい時代を生き抜いてここまで到達したという感慨が湧いてくる。そこで私は、社長指定席の最も眺めのいい窓際を応接室兼談話室とした。顧客にも社員にもこの眺めを共有してほしかったからだ。

現状維持か上昇志向か

 移転の理由は以前の事務所が手狭になったためだが、会社の業績が特に上向いているというわけではない。仮に現ビルの家賃が月300万円としよう。コストダウンが叫ばれる昨今、なぜと思われる人もいるかもしれない。
 当社は不動産・法律・建築関係の資格取得を目指す社会人の人々が集う専門学校である。夢を実現する意欲を奮い立たせることも大切な仕事なのだ。陰気で古びた教室と、天神のビル街を望む真新しい教室と、どちらが夢を描ける環境であるか。私にとって十年前の移転は一つの賭けだった。経営者が現状維持だけを望むなら、社員の営業姿勢もおのずと消極的になる。「現状維持か上昇志向か」という選択を迫られた場合、経営者は困難な道を選ばなければならない場合もあるということだ。

共通認識の徹底こそ経営者の最大の仕事

   私は「職場づくり」とは「人づくり」であり、効率などより社員の一体感が重要だと考えている。そのためには社員の経営方針に対する共通認識が不可欠であるが、抽象的な一遍の社訓や就業規則などで意志統一が図れるはずもない。そこで私は数十ページにも及ぶマニュアルを自ら作成して、極めて具体的な指針を与えるようにしている。さらにそれを社員に通読させ、定期的に試験を施して暗記させるようにしている。当社が「社員皆営」を原則としているのも、この精神的な一体感を重んじるためだ。どんな零細企業でもセクト主義が横行すれば社員の共通認識は決して得られない。
 経営者の仕事はこうした「共通認識の徹底」と「人づくり」に尽きるといってもいい。あとは会社が危機に直面した時の判断だけである。これを怠ると、中小企業の経営者は倒産するまで自ら営業に奔走することになる。実は当社でも私が売上の大半を担っている状態が続いたが、売上の激減を覚悟して「営業拒否」を宣言した。すると不安になったのか社員の実力も自然と育ってきた。トップが営業している間、社員は決して育たないものだし、営業に従事していれば社員教育を怠りがちになるのも当然といえよう。

社員教育は毎日の業務の中でもできる

 零細企業では社員教育に時間を割く余裕がないと愚痴をこぼすが、私は通常の業務の中に「教育的契機」をふんだんに盛り込むようにしている。
 たとえばかつての事務所移転に際して、私は30人ほどの社員の中から「新校舎建設実行委員会」を組織させた。さらに社員全員に新オフィスのレイアウトを考えさせて図面として提出させた。いわば社内コンペである。こうした経験を通して、社員は自ら具体的な職場の在り方や人間関係を模索し、会社への愛着心を育てるのである。
 毎日の社内清掃もそれぞれのスペースで担当を決め、報告・点検を徹底させる。問題があった場合は抽象的な愚痴ではなく具体的な指示・注意をする。これを通して社員は作業における意志伝達の方法を学びとるのである。また営業に対しても、当社では毎朝「突撃」と呼ばれる電話営業を設立当時から実践している。総務もベテラン営業マンも例外ではない。効率の面からいえば、これ程無駄な作業はないだろう。だが、これも積極的な営業姿勢を保つための社員教育の一環なのである。
 社員教育を徹底しているため、極端に言えば当社では人材の良し悪しは問う必要がない。その意味で私は「経営者が教育を事業として選んだ」というより「教育者が経営を覚えた」といってもいいだろう。大企業では社員研修を外注する場合があるが、これは自分の子供を里子に出すようなものだ。自分の社員を教育できないようでは経営者(=親)失格といわざるをえない。

「規模分類」よりも「文化分類」を旨とせよ

 私は企業を「家」という文化で捉えている。経営方針や社員教育を考える時に、「大企業」「中小企業」などという経済産業省の「規模分類」で優劣を判断するのは誤りである。大企業と中小企業の相違点は優劣や規模ではなく文化そのものである。これは身長の低い人間を「小人」、身長の高い人間を「大人」と区別するほど愚かしいことだ。個々の人間の性質が異なるように、大企業と中小零細企業の相違点は精神文化そのものである。つまり「規模分類」より「文化分類」に即した経営方針を選択すべきなのだ。
 効率性重視の大企業的経営方針は昨今の不景気で数々の悲劇を生んでいる。これに対して、私は30年間一貫して「家」の思想を経営の根幹に据えてきた。もちろん、社員にはそれぞれの家庭を大切にしてほしいと願っている。年功序列や終身雇用制という日本的制度が崩壊しても、精神風土は易々と変化するものではない。私の経営目的とは、この「家」という精神文化が企業社会においても優れていることを実証するためであるともいえよう。
(平成22年2月27日 記)

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