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意味のない南京屠殺館への献花式はやめるべきだ(その2)

ライセンスメイト篇

平成10年3月号「サイレントマジョリティ」

自らススンデ申し出た奴隷根性

 福岡県は献花を自ら進んで申し出ている。奥田八二氏が知事の時代という。知っての通り彼は社会主義者である。①知事公舎に住まなかった、そして、②エレベーターを使わなかった、ということだけをもって善事をなしたと信じている人である。しかし、皮肉にもほかならぬ彼の時代に県庁職員のカラ出張は職場全域に蔓延したと聞く。また、亀井氏によって登用された管理職も相当数が根絶一掃されたという。県予算の無駄遣いや報復人事を糾弾し当選した当の本人がやったことといえば、何の事はない、亀井氏と同様のことを亀井氏とは比較にならないほど大規模かつ長期にわたり、しかも徹底してやりあげたということだ。それゆえ、私たちは、個人レベルでつつましいからといって、公人レベルでもつつましやかとは決して錯覚しないことだ。差別糾弾、人権擁護の名のもとに差別を助長し、人権を抑圧することが最近頻繁に行われている。これも、社会主義者・共産主義者は善だとする思想がもたらした日本的悲劇であろう。

支那人もあきれる日本人のゴマスリ外交

 私の知っている南京出身の支那の人は「日本人は真の意味での友好・親善を知らない。なぜ是々非々をハッキリさせないのか」という。続いて彼は「私は南京の生まれだが、30万人なんて数は時の政府によってコロコロ変わるものだし、南京の人、誰も信じていない」とも言っている。そして、最後に「友好とか親善とかは今日のことであって、なぜ、昨日のことでゴマをするのか。県の人はおかしいのではないか」ともいっている。要するに支那の人は30万人虐殺など全くもってウソだし、「万人坑」など歴代王朝(政権)皆やってきたことだし、何もこと珍しいことではないという。

落ちた偶像「社会主義・共産主義」

 今、社会主義者・共産主義者は一方の祖国「ソ連」が崩壊したのみならず、他方の祖国「中華人民共和国」が資本主義化の道を進み始めてしまったため、有効な出し物がなくなってしまい、深刻な自己撞着に陥っている。理由は、①理想の国は崩壊しないし(世界革命の根拠地は破壊してもらっては困る)、②理想の制度は資本主義ではないという二大テーゼが完全に覆されてしまったからだ。売る商品が虚構であり、しかも話法に欠陥があったというわけだ。とんだ「説得商品」もあったものだ。民間企業であれば、間違いなく、消費生活センターものである。

恐れているのは自分自身の失業

 そのため、彼らは、現在、攻撃の矛先を巧妙にかえてきている。営業品目が虚構と判り、販売トークが誤解を招くのであれば、会社を辞するか、営業マンをやめればいいのである。しかし、長年、虚構を販売してきたため、そして営業マンをやめるわけにもいかないため、新たな商品(虚構)を探しだすか、捏造することに血道をあげてきている。

 いわば、彼らにとっては、この日本(彼らは決して「わが国」とは言わない)は、過去も現在も、そして未来も断罪され糾弾され続けなければ困るわけである。悪い国であってもらわないと弾劾し告発する仕事がなくなってしまうというわけだ。つまり、恐れているのは自分自身の失業であり、組織なるものの崩壊であり、イデオロギーの終焉なのだ。まことに勝手というほかない。テメエの都合というわけだ。

献花式は日中友好の踏み絵ではない

 南京屠殺館への献花など、支那の共産党指導部はともかくとして大陸の国民は決して欲してもいないし、喜んでもいない。かえって軽蔑し、バカにしているという。失業を恐れる一部の人たちの奴隷根性、ゴマスリ根性に決して惑わされてはいけない。真実の交際は「今日の関係」から始まる。彼らの失業対策事業に決して同調してはいけない。

交際は対等原則・未来志向で

 およそ、外交はすべからく対等であってしかるべきだ。迎賓の原則とは一言でいえば、お招きする相手の方に不愉快な思いを抱かせないことである。また、おつきあいとは洋の東西を問わず限りなく未来志向でなければならない。

 麻生知事はいやしくも福岡県のトップである。それ故、以上のことを十二分にわきまえて行動していただきたいものである。周囲の雑音に惑わされることなく、また、歴史を背負っているという自覚を片時も忘れることなく、沈思黙考、大いに熟慮され、わが国(日本人)の尊厳と国益をまず第一に優先させる決断をしていただきたい。

 最後になるが、さきほど紹介した南京の青年はこうもつけ加えている。「私は献花などする人の気が知れない。南京の人も信じていないのだから。」