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給料は直接手渡しする

ライセンスメイト篇

平成16年6月号「人と意見 心の経営ゼミナール 第5回」

「わが国における経営のキーワードがあるとすれば、それは終身雇用と実力主義を両立させることだ」

 このシリーズでは、私が24年間に及ぶ学校経営から肌で感じ取った中小企業の経営ノウハウを計12回に亘って紹介させていただく。

給与支給のかたち

 新入社員の皆さんは、初月給をどのように受け取ったのだろうか。今や多くの企業では銀行振込が一般的になっているが、当学院では創業以来一貫して給与支給は直接手渡しである。

 毎月15日の給料日には、私はかなりの時間を費やすようにしている。一人当り約5分と時間を区切り、社員一人ひとりを私のところに呼んで、それぞれに支給額を明示しながら手渡していく。確かに給与は銀行振込にした方が手渡しより効率的なのは明白だ。それに何といっても支給を受ける側と対面しなくていいだけ気苦労も少なくて済む。

給与日は「有り難い日」

 しかし、あえて給与の手渡しを行うのは、1ケ月の間、人生を賭けて働いてくれた社員一人ひとりに「ありがとう」と直接お礼を言いたいからである。同様に社員には毎月定まった日に給料をもらうことを当たり前だと思ってほしくないからだ。つまり双方にとっての「有り難い日」が給料日であると思うゆえんである。

 また、この給与手渡しの時間は、社員に対する直接指導の時間でもある。自分が掲げた目標に至らなかった社員には、経営者として直接指導が行える。この時間が社員の仕事に対する自覚を促し、それ以降の起爆剤になり得ると信じている。

省力化の目的を忘れない

 コンピュータが導入される前は、給与計算も手作業で行っていたため、現在とは比較にならないほどの時間がさかれていた。現在は機械処理になったお陰で給与計算に費やす時間は大幅に短縮された。だからこそ、省力化されたかつての手計算の時間を今度はより有意義な支給時間に振り向けることができたのである。

 そこには『省力化の全てがいい訳ではない』という私の基本的考え方がある。人と人との触れ合いまで省力化してしまったのでは、何のための合理化なのだろうか。「対物時間の省力化」は、「対人時間の確保や増大」に奉仕してこそ意味があるのではないだろうか。

昔の思い出

 私が幼い頃、母は父から給料袋をもらう都度、神棚に飾って拝んでいた。そして、その日の夕食は何となく普段より「おかず」が多く出た。小学5年から高校3年までの8年間、新聞配達をして家計の一部を支えた私も給料日毎にその袋を封も切らずに丸ごと母に預けたものだ。その時も母は神棚に飾ってくれた。両手を合わせて父や私から給料袋を預っていた母の姿が今でも瞼に浮かんでくる。

 かつて、妻にとって夫の給料日とは、夫の帰宅を待ちわび、給料袋を戴くことと同義であった。そこには家族を養うために頑張っている一家の大黒柱に対する尊敬と感謝の儀式があった。私はこれを極めて日本的な美徳と思っている。

共同体再建の手段になりうる給与手渡し

 今、妻たちの関心は夫の帰宅よりも、寧ろ振込口座の残高確認の方に向いている。しかし、これは20世紀の終わり頃から流行(はやり)だした給与振込という制度によって作られた後天的な「習い性」に過ぎない。

 私は、このような制度の推進者にはならない。逆にいかに「時代遅れ」と言われようが給与の直接手渡しは、一人ひとりの社員とコミュニケーションを図る絶好の機会になり得ると信じて疑わない。

 当学院が、毎月10日、20日、末日と3回に分けて業者関係の方に集金においでいただいているのも、給与手渡しと同じく「お礼が言いたい」という感謝の念が出発点である。