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経営者のオリジナルカラーとは

博多独楽篇

平成12年1月号「私的経営のこころ 中小企業の生き延びる道(1)」

 私は今も昭和63年(1988)1月4日、この日を忘れることができない。いわばこの日は、私が経営者として独自のカラーを提言した初日ともいえるからである。

 32歳で独立して以来、私はオーナー経営者として8年間営業の第一線で仕事に携わってきた。毎日がそれこそお金と戦う日々だったが、自分の持つ能力を存分に発揮でき、仕事に対する満足感と充実感を覚えていた。が、ふと40歳を目前に控えたある日、私はこれからも今までのような仕事のやり方をしていてよいのか、といういいようのない虚無感にかられた。

 当時、私は最高時で会社全体の売上の2/3を担うほどの業績を担っていた。個人経営というのは、ややもすればオーナーが最前線で奮闘している姿に美徳を見い出しがちだが、それは逆にいえば、オーナーが病気等で働けなくなった時に、会社は倒産という危険をはらんでいることにほかならない。社員がトップ(オーナー)を信頼してついていくことは健全な姿であるに違いない。しかしそれと、業績面でのトップに対する余りにも強い依頼心、依存心の精神とは全く別物である。私は後者こそが、会社をダメにする要素だと悟ったのである。

 私が営業の第一線から身を引くことは、必然的に売上減に直結する。正直に当時の気持ちを言えば不安感の方が大きかった。しかし、私はそれに賭けた。

 年頭の初めから私のこのただならぬ決意を聞かされた社員の中には、辞めていく者も多数でた。予想された通り、大幅な売上の減少となった。突然のごとく強風が社内を吹き抜けた。次第に経営危機の状態にも追い込まれていった。しかし景気がバブル期への途上であったことと、「会社を一代限りで終わらせてはならない」という気概と「自分たちの職場は自分たちの力で自分たちのために守ろう」という社員一人ひとりの思いにも支えられ、どうにか半年で経営を立て直すことができた。まさに「念ずれば花開く」である。

 平成12年(2000)3月には当社も設立20周年を迎える。この間には、前述のように社内の大激変も度々起こった。しかし経営者がその激変を恐れていては前進できない。トップが濃厚なオリジナルカラーを打ち出し続けることが、経営にとって一番大事なのではないだろうか。

今月のまとめ

 「しない」関係は「できる」時代にこそ築く。そして「できなくなる」時に備える。

 資金を支援する(=「与える」)ことをもって社員への愛情と信じて疑わない考え方。社員への愛情表現の中には資金支援しない(=「与えない」)ことだってある。おそかれ早かれ人には老いがきて、与えることができなくなる。だから「できる」時代から「しない」関係を築きあげ、「できなくなる」時に備えなければならない。そして、これこそが社員を自立させていくことにほかならない。