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給与支給の原点は直接手渡しである

博多独楽篇

平成12年6月号「私的経営のこころ 中小企業の生き延びる道(6)」

 新入社員の皆さんは、初給料をどのように受け取ったのだろうか。今や多くの企業では、銀行振り込みが一般的になっているが、当学院では創業以来一貫して給与支給は手渡しだ。

 毎月15日の給料日には、私はかなりの時間を給与支給に費やす。一人当たり約5分と時間を区切り、社員一人ひとりを私のところに呼んで、それぞれに支給額を明示しながら手渡している。確かに給与を銀行振り込みにした方が、手渡しより効率的なのは明白だ。しかしあえて給与の手渡しを行うのは、一ケ月の間、人生を賭けて働いてくれた社員一人ひとりに「ありがとう」と直接お札を言いたいからだ。同様に、社員には、毎月定まった日に給料をもらうことを当たり前だと思ってほしくない。いわば双方にとって「有り難い日」が給料日であると思うからだ。

 また、この給与手渡しの時間は、社員に対する直接指導の時間でもある。自分が掲げた営業成績に至らなかった社員には、経営者として直接指導が行える。この時間が、社員の仕事に対する自覚を促し、次月の起爆剤になり得ると私は信じている。

 コンピューターが導入される前は、給与計算も手作業で行っていた訳だから、当時に比べ随分と給与支給に関する時間は短縮された。だからこそ機械で省力化されたかつての計算時間を今度はより有意義な支給時間に振り向けることができた。そこには省力化の全てがいい訳ではない、という私の基本的考えがある。人と人との触れ合いまで省力化してしまったのでは、何のための共同社会だろうか。対人時間の省力化は、対物時間の確保や増大に奉仕してこそ意味がある。給与手渡しは、一人ひとりの社員とコミュニケーションを図る絶好の機会になり得る。

 当学院が、毎月10日、20日、月末と3回に分けて、業者関係の方に集金においでいただいているのも、給与手渡しと同じく「お礼が言いたい」という感謝の思いからである。

今月のまとめ

 私が幼い頃、母は父から給料袋をもらう都度、神棚に飾って拝んでいた。そして、その日の夕食は何となく普段より「おかず」が多く出たものだ。両手を合わせて父から給料袋を預かっていた母の姿が今でも瞼に浮かんでくる。

 かつて、妻にとって夫の給料日とは、夫の帰宅を待ちわび、給料袋をいただくことと同義であった。そこには家族を養うために頑張っている一家の大黒柱に対する感謝の儀式があった。

 今、妻の関心は、夫の帰宅よりも、むしろ振込口座の残高確認の方に向いている。しかしこれは給料振込という制度によって作られた「習い性」である。私は、このような制度の推進者にはならない。