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「入社研修」で帰属主体への忠節度合いを測る

博多独楽篇

平成13年4月号「私的経営のこころ 中小企業の生き延びる道(16)」

内定者を5分の1に激減させる「入社前研修」

 前回で「中小企業盛衰の岐路は『覚悟した戦力』の有無にあり」の話をした。その「人財」を確保するための、当学院における「入社前研修」について述べたい。この対象となるのは、まだ学生である新卒の内定者に限ってであるが、4月入社の前に次の3つの事を課する。

 まず1つ目は、前々回で記述した卒業式・合格者祝賀会」の主催側、つまり担い手の1人となってもらうこと。この会を成功させるための業務の一端を担うことで、学院のお客様である合格者を祝う側の立場になる。ここで一番大事なのは、自己犠牲、奉仕の精神。主催者サイドに立ち、合格者の喜ぶ姿に触れさせる。

 なぜそんなことをするのかといえば、我々学院の商品は目に見えない付加価値が大きいので、非常に説明がしにくい。茶わんやコップのように形を手に取って分かる生産物ではなく、相手との信頼関係から生ずる要素が強いものだ。そのためひとつの大成を遂げ、学院に対して感謝の念を抱く卒業生たちの姿を見せることで、内定者にこれから入社しようとしている会社の目的を実感させたいのである。要するに我々の商品の性質を理解させるわけだ。

 2つ目は、毎年2月に行う「建国記念の日」の式典の受付業務を課する。これは1000名以上が集合する大きな式典を合同で執り行なう行事なのだが、志しを持った他の学校や団体が合い交わる空間だ。そこで内定者に社会との関わりを経験させるのである。建国記念式典に限らず世の中の会合はいろいろあるのだが、あえてこの式を選んだのは、国があって成り立つ社会の中で働いていく日本国民としての自覚を明確にできるからである。初心に帰るために、皆が決起する公的行事。社会の1単位である夫婦の間にも結婚記念日があるように、我が国の建国の日をきちんと心に記す式典だ。そこで初心になるということは道を誤らないことにつながる。かつて誓った志を儀式化する、行事化することによって公的に大義名文が立つのだ。

 加えて、社会で仕事を成功させるためには一体感が必要である。顧客や組織の仲間との一体感。そして日本という国家に属し、はたまた先人の歴史との一体感を体感してもらう。天神の真新しい最上階のオフィスでかっこよくデスクワークしている将来の姿を想像する内定者たちは、奉仕とか、一体感とかの柵をおそらく苦痛に思うだろう。しかし仕事を取り巻く環境とは事実、そんなものである。かっこよさだけで入られては困るのだ。卒業式・合格者祝賀会」で顧客との関わりを持ち、「建国記念式典」で社会との関わりを持つ。この時点で賢い内定者だと、学院の業務とはお客様に喜んで頂くサービス業であり、学院の社会的役割は、国家や民族と一体不可欠の構造であることを多少は理解してくるものだ。

 3つ目は「入社前研修」として、在学中に教育勅語を暗記させること。50数年前まで日本の学校教育は、社会に出てくる前に予備教育として国民教育や公民教育をしてくれていた。少なくとも道徳的厳しさは、やれ自由放任だの人権だのと学生を過保護にする今の学校教育よりもあった。社会の厳しい現実をオブラートで綺麗に包み込むような制度だと、実際の戦場では核心には迫り得ない。社会人でやっていくということは社会に順応していくこと。それを教育勅語はストレートに教えてくれる。

「入社前研修」は生き残りをかけた”ふるい“作業

 内定した本人が、海のものとも山のものとも分からない、果たしてこれが人財だろうか、それとも人罪だろうかという時から、とにかく会社の基本的な経営方針あるいは経営者の考え方のシャワーを浴びせるわけだ。冒頭にも述べたように、我々の商品は説得商品。だから売る側の人間の内心の問題が大きく左右する。心を偽り隠して出来る性質の仕事ではない。人と接して、目に見えないものを展開し、生み出していくものには心が必要。そうなると、お互いに相手を尊敬できなければ成り立たない。だから入社前に新人を″ふるい″にかけ見極める。中小企業が経費をさほどかけずに、既に「機構の一部となってしまった戦力」の喪失という危険を回避するにはこういう方法もある。

 以上の3つを入社前に註すると、だいたい内定者が5分の1に減る。90名応募で15名内定。そして残るのは3名。新人研修というのは、我が社の場合は5分の4の比重が入社前研修になる。これを乗り越えた人が、『覚悟した戦力』に育っていくのである。