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採用と不採用 その5

博多独楽篇

平成14年 春号「私的経営のこころ 中小企業の生き延びる道(22)」

単純作業に耐えられない人

 仕事にはランク付けするなら高次、中次、低次の仕事がある。高度な判断が要求され、それに基づく判断の結果、多くの人の命運が左右されるような仕事は高次の仕事といえる。おまけにこのランクは棚当な経験とキャリアが要求される。しかも、①おびただしい勝利経験だけでなく、②こっぴどく失敗した経験、それでもなお、③やり続け、生き延びてきた経験による判断を土台にしてこそ、初めて自他ともに納得せしめる判断ができる。だから、中途採用の人にいきなりこのランクになれ、といってもそれは無理というものだ。せいぜい指示があってから稼動する立場から始めさせるのが妥当であろう。

 しかるに、前職時代に高次の業務にコミットする立場にあった人ほど作業を軽視する傾向がある。ひどい場合だと蔑視にも似た感情を抱いている人もいる。しかし、考えてもみよ、延々と反復する単純な作業を蔑視するがゆえの忌避を許していたら、その企業はどうなるかを想像していただきたい。国家的規模でいえば、「3K」としてブルーカラーが嫌われ、国民おしなべてホワイトカラーになるようなものだ。それはもう国家の崩壊といえる。

 企業でいえば「下積み」が疎んじられ、白眼視されるようなものだ。「お茶汲み」を命じられたら、人格までも無視されたくらいに思う今日の世相も、先ほど述べた風潮に一脈相通じるものがある。単純作業といってタカをくくってはいけない。「お茶汲み」を忌避する人は、結局それさえまともにできない人になっていく。だからわが社では前職が社長であれ、部長であれ、男女の別なく、お茶汲みや職場の清掃、私の送り迎え等をさせるようにしている。世間様からお金をいただく仕事で単純な作業の組み合せでないものがあったらお目にかかりたいものだ。

 職場には思索したり哲学するようか空間間はない。明けても暮れても作業に追われ、顧客に追われ、時間に追われるのが企業に身を置く者の宿命なのだ。だから「作業」を低次の仕事と思ってバカにする人は決して入社させてはいけない。昔からいうではないか。「下手な考え休むに似たり」と。

 どんどん身体が前に出ていく人、与えられた作業に価値創造性を見い出し、絶えざる創意と工夫を試みる人、そして処理時間の効率化を追及してやまない人、しかもドキュメントを記録に残し・他人がそれを見れば今すぐにでも取りかかれるようにしている人、こういう人こそが、高次の仕事への飛躍を成し遂げられるものと思っている。

水際作戦としての採用・不採用

 以上不採用とすべき例を15項目に亘って展開してみたが、これはあくまで当社の例であって決して普遍的な意味で言っているのではない。また一口に「採用」といってもその対象が「人手」と「人材」とでは採用担当者の構えも大きく変わってくるだろう。

 採用とか不採用とかはメダルの裏表をいっているにすぎないのであって、多少リアリズムめいた言

い方をすると「メダルの裏表業務」の核心とは「人の選別・差別」以外の何ものでもないということだ。数多くの応募者の中から「本物の志願兵」を絞り込み、更に「しなやかで強力な素材」を絞り込んでいく。

 戦後50年はおろか、60年にもなんなんとする「教育勅語不在教育」の真っ只中で丸ごと育った人が国民の9割以上を占めるようになった昨今の世相の中でこの考え方で採用・不採用業務を貫徹していくことは、相当の思想性が要求される。しかし、この競争社会で中小企業が成功して顧客に満足いく商品を提供することができ、かつ、構成員に将来展望を与えることができるとしたら、それは、一にも二にも「勝ち抜く」(あるいは「負けない」)とが絶対前提だ。そして、その絶対的なる前提を成就・構築できるのが、犬でも猿もなく人(ひと)しかいないとすれば、「採用・不採用業務」を戦略的勝利のための戦術=水際作戦として位置付けることこそが最重要の課麿として求められているのではないだろうか。

 中小企業ほど「一騎当千」の強者を必要としている分野はない。しかし、そのような強者集団は決して「不適格な素材」の上には成立しないのも冷厳な事実だ。それゆえそのような「素材=人材」の採用、企業にそして職務に「忠節を尽くすを本分とする」社員の採用にこそ、中小企業盛衰の鍵があるといえるだろう。