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業績悪化と解雇は矛盾する

ライセンスメイト篇

平成12年8月号「サイレントマジョリティ」

 民間企業を経営している人なら当然お判りいただけることだが、月商高や年商高は決して予定通り、計画通りにはいかないということである。予定や計画と違っても、上回る方向に違うのであればまだしも、問題は「大幅に下回った場合」である。しかも、短期間ならともかく、今次不況のように長期に亘った場合の対処法についてわが社の例を展開させていただく。

 まず業績の向上について徹底して論議を深める。これも幹部団から始まって全社的な形にしていく。早朝7時から会議をすることもある。レポートはどんどん提出され、様々なアイデアがここぞとばかりに噴出する。しかし、何といっても頭痛の種は業績悪化に伴う恒常的な財源不足である。借入金で解決するといっても所詮限界がある。設備投資なら仕方ないまでも、運転資金まで借入金でまかなわなければならないとすると、これはもう他人に迷惑をかけ続けることによってしか継続できない「会社ごっこ」のようなものだ。だから、環境的に厳しければ厳しいほど「非借入」で対応する覚悟をすることである。これが第一の覚悟といえる。

 それでも好転しない場合、第二の方策は社員への耐乏の呼びかけである。財源不足から安易に社員を解雇する企業が後を絶たないが、この方法は最も愚劣な選択である。私の場合は、社員の平均給与を引き下げることから始める。これは全員の前で私が直接呼びかける形をとる。「今まで通りの待遇はできないので、給与引き下げに協力していただきたい」と誠実に訴えかけることが大切だ。また周知徹底を図るため掲示もする。企業とはひとつの運命共同体である。ということは「業績悪化」などという理由での解雇などはそもそもありえないということだ。自分の月給が下がったからといって妻や子と縁を切る夫や親があるか。下がった給料のもとで一家が共に辛抱して耐え忍び、次なる飛躍の日までがんばるしかないではないか。これが「共同体」というものだ。

 それでも好転しない場合は、いよいよ減額の実行と支給日の変更である。また、それをベースにした周辺部分への協力の呼びかけである。給与の減額でいくと最大では75%まで控除したことがある。つまり25%しか支給されない計算になるが解雇よりはよっぽどいい。共同体にとって解雇とは縁切りである。共同体への背信行為がその原因であるならばやむを得ない面もあるが、たかだか業績の悪化程度で離縁していたのでは、はじめから会社を始める資格はないというものだ。また支給日については一斉支給を改め二段階、三段階支給にしていく。勿論、職階と給与の低いメンバーはあたりまえの日に、職階と給与の高いメンバーは10日遅れとかという具合に経理がきつくないようにする。

 周辺部分への呼びかけとは、仕入先に対する呼びかけをいう。しかし、これは最後に回すべきだろう。なぜなら安易に矛盾を周辺に押しつけて自助努力しない企業が余りにも多いからだ。相手方に協力を要請する場合は、まず己自身が八方手を尽くすことが基本である。自らが血を流す覚悟と実践なしに他人に出血を強要するなど論外というほかない。

 一日三食に憤れた人が、一日二食に、そして一食にするとは大変なことには違いない。しかし、たとえ一日一食にしてでも家族の中の誰をも殺さないことが肝要である。一日三食の生活水準を維持するために長男や長女を殺す親が、あるいは親を殺す子供が、どこにあろうか。そのために妻を殺す夫が一体どこにあろうか。会社も一緒である。特定の人々の給与水準を維持するために他の人々の首を切りその場しのぎ的な対症療法をしたところで、いずれ同様の機会が巡ってくる。その時は「次は誰か」が合言葉になるのがオチである。だから、私は業績悪化を理由に社員を解雇する経営者、すなわち共同体の建設を最上位に置かない経営者は基本的に信用しないことにしている。

まとめ

 業績悪化とハ方塞がりの状態ほど経営陣と幹部社員にとって理想的な戦場はない。それは臥薪嘗胆を学び、体得させる上で最も教育的な環境であるからだ。逆に理想的な業績展開ほど最悪のシナリオを準備する誘惑はない。企業は共同体という生きものだ。そうである限り、何としてでも生き残らなければならない。①勝った経験と同時に、②こっぴどく叩きのめされた経験、にもかかわらず③やり続け、生き延びた経験、こういう複合した経験を全て体験し、体験させた人間を何人碓保しているかが、生きものとしてのその企業の生命力といえるだろう。