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万難を排して国家的・民族的課題を担った11年

ライセンスメイト篇

平成22年3月号「祝辞 台湾慰霊訪問の旅によせて」

 私たちは、原台湾人元日本兵軍人軍属三万三千余柱のご英霊に深甚なる慰霊の誠を捧げるため、平11年から11年に亘り台湾訪問を継続して参りました。そして昨年、念願の台湾支部を授けられるまでになりましたが、この事業を開始する段階(平成11年3日6日~9日、11月24日~27日)では、「これほど大変な仕事になる」とは考えてもいなかった四つの業務について展開させていただきます。

 まず第一の 『募集』ですが、それはいうまでもなく「団員の募集」です。連続して参加していただける奇特な方もおられますが、大半は初めての皆様です。それは慰霊地と慰霊祭の期日に規定される「お遍路さん」の旅のようなものですから、巡路は大体決まってきます。目先を都度変えることによってリピーターを確保するのと逆に、私たち自身かご英霊の霊前に額ずくリピーターになるのです。

 観光旅行でもなければ販路開拓のための商談旅行でもないこの種の企画に心から賛同し、喜んで参加して下さる方を毎年所定の期日までに一定数確保することは至難の技です。

 そして、とにかくそれを成し遂げてきた11年でした。

 

 第二の『交流』とは、現地・台湾の皆様との交流と私たち日本側の皆様との交流の二種類があります。これは回数を踏めばそれだけ厚みが増してきます。

 そしてこれに周囲の皆様のご縁の輪が加わります。仮に年に1回私たちの職場を訪問されるとしても、その数が365人なら平均毎日1人の来訪者となります。例えば年賀状や暑中見舞等の数も半端ではありません。また、秋の慰霊訪問のみならず沢山の会合や行事にお誘いされることも覚悟しなければなりません。

 そして、とにかくそれを成し遂げてきた11年でした。

 第三に大切なことは活動の『集大成』作業ですが、これが一番大変です。生業の繁雑さに追われながら、会社と従業員を守り、家庭と家族を健全な形で保っていくのに一瞬の油断も許されません。学校運営という壮大な事業を円滑に遂行していく日常性の横腹に、強引に割込んでくるこの種の仕事は実に気の遠くなるような作業です。

 しかし、これを定期的に慣行化していかないと、主宰する側白身が迷路にはいりこんでしまいます。また、周囲の人を此岸(しがん)の理解者から対岸に追いやり、永遠の傍観者にしてしまう恐れがあります。

 そして、とにかくそれを成し遂げてきた11年でした。

 

 最後は、「募集」と「交流」と「集大成」を有機的にまとまりのある一体の業務として実行していくための『事務局』の必要性と建設です。

 本業であり生業である企業経営の真っ只中に身を置きながら、先程述べたそれぞれの業務を全体性溢れる秩序だったものにしていくためには、継続的で首尾一貫した指導部(情報発信基地兼ねる)が不可欠です。通常業務をこなしながら事務局機能も担える強力な資質作り、不断に発生する出費に微動だにしない財政基盤の創造、そしていうまでもなく国家的・民族的課題を担当させるにふさわしい社員教育が必要とされるゆえんはここにあるのです。それがどんな困難を伴おうともです。

 そして、とにもかくにもそれを成し遂げてきた11年でした。

 市井の一民間団体といえども、歴史的かつ国家的課題を担えば事のなりゆきはこうなるものではないでしょうか。民間に身を置く者がそれぞれに与えられた民族的課題には目をつぶりながら、自社利益の追及のみに汲々としている限りは、大東亜戦争のご英霊はうかばれないし、こういう企業に支えられたわが国も先は長くありません。そういう意味では、救国の鍵は民間企業の動向であるといっても決して過言ではないと思うのは私だけではないと思います。12年目にあたり、発足当初はそれほどとは思っていなかったことが実は大変な仕事であり、それを万難を排して実行してきたからこそ今日(こんにち)迎えられたと思っている次第です。

 一緒に訪問団を担ってきていただいた皆様や、周囲から私たちを支えて下さった多くの共鳴者の皆様に敬意と感謝の意を込め、今年も私たちは三万三千余柱のご英霊を顕彰するために「海の彼方のニッポン・台湾」を訪問します。尚一層のご支持、ご鞭撻を宜しくお願いいたします。