閉じる

メニュー

日台の魂の交流-台湾特別講演会に寄せて

ライセンスメイト篇

平成23年6月号「祝辞 台湾慰霊訪問の旅によせて」

 今回の東日本大震災に際し、終始一貫ご自身のこと以上に心痛し接して下さる台湾同胞の皆様に心から御礼を申し上げます。

 さて、わが国日本は表面積37万平方kmですが、地球の全表面積から見れば400分の1(0.25%)にしか過ぎません。しかるに有史以来記録されている「巨大地震」の2割(20%)がわが国で発生しています。それはとりもなおさず「(火山の)噴火」や「津波」の被害も連鎖して受けてきたということに外なりません。

 このような地の底からの自然の脅威に加えて毎年夏には台風がやってきます。年中行事にまでなっている天からの猛威です。

 かくなる環境下で私たち日本人は何万年・何十万年と生き延びてきたし、これからも生き抜いていかなければなりません。宿命とはいえ、これほどまでに悪条件に恵まれた国は世界広しといえども、あまり多くはないと思います。

「災害は忘れた頃にやってくる」との名言をもってして記憶されている随筆家の寺田寅彦氏の言葉にもうひとつ「日本人は災害を食って生き延びてきた種族である」というのがあります。まさしく至言ではないでしょうか。

 私たちは、困難に逢着すればするほど、それを「恵み」に転化し、「共同社会建設」の桿にしていった先人の知恵と生命力に感動するばかりです。日本人が危機に際して発揮する「忍耐」や「団結」や「協力」は世界に誇る「国富」と思っております。そしてそれはいかなる環境にも動ずることのない「礼儀」を生み出し、「大化の改新」以来連綿と続く「公心」(おおやけこころ)を育みました。

 私たち日本人が先祖から引き継いだこのような価値の体系を世界の中で唯一、両手(もろて)を挙げて歓迎し取り入れて下さった国が台湾です。

 さて、私共は原台湾人元日本兵軍人軍属三万三千余柱のご英霊に深甚なる慰霊の誠を捧げるため、平成11年から12ヶ年に亙り、訪台活動を継続して参りました。

 名も無き市井の一民間団体の事業とはいえ、帯たる使命は①世界一の親日国・兄弟国の台湾とわが国との親善友好関係を牢固不抜のものとし、②東アジアの平和と安定に寄与する、という国家的見地に立つもので、それはこの12年間で訪台した団員339名、訪問した慰霊地・交歓先153ヶ所、その結果、ご縁の出来た台湾人同胞679名という数が物語っています。

 ここで、既にご承知おきのことと存じますが、台湾を自国領土と嘯いてやまない中国はあろうことか尖閣諸島を手始めにわが国・沖縄にまで侵略(=併合)の鉾先を向けてきました。異常なまでの軍備拡張と並行して進められている国内法整備(「反国家分裂法」や「国防動員法」の制定と施行)はまさに共産党による一党独裁国家ならではのアジア侵略を目論む国内体制作りそのものであります。

 しかるに、中国のこのようななりふりかまわぬ侵略体制構築とその発動の過程で最大の障壁として浮かびあがってきているのは、①日本統治50年と②大東亜戦争を共に担い抜いた戦友としての血盟関係に淵源を有する日台両国民の精神的一体感であります。天然の要害である台湾海峡や東支那海に優るとも劣らないこの精神的防塁を破砕する以外一歩も前に進捗しないのが今日の中国の対台湾・対日本政策といっていいと思います。

 それゆえ今回の東日本大震災の報に接するや否や台湾の皆様からわが国に寄せられた160億円以上にのぼる義援金や様々な支援・声援の洪水に中国が色を失いながらも懸命に平静を装っているのはまさにこの一体感・連帯感の健在と同志的紐帯の強さを目のあたりにしたからに他なりません。

 有史以来、隣接国や周辺地域を侵略し、併合し、無辜の民を虐げてきた国のみが持つ特有の本能から、日台の精神的一体感を育む私たち訪問団の家族(兄弟)交流を忌み嫌い、魂の交流の深化拡大を恐れてやまない中国は私たちの訪台活動に露骨な干渉や妨害を加えてきました。

 平成14年の読売新聞における団員募集広告は、在福岡中国総領事館の圧力により掲載中止に追い込まれましたが、以来、産經新聞を除く全国紙(「西日本新聞」を含む)ではこの訪問の団員募集ができない状況が続いています。それは私たちの活動の歴史変革的意義を察知した中国当局とその顔色を伺う大手マスコミの不甲斐なさのなせる業以外の何物でもありません。

 かかる事情から、平成15年開始のこの台湾特別講演会が唯一の団員募集窓口となった次第であります。それゆえ、この講演会の成否は、日台の魂の交流の成否に直接影響しますゆえ何卒倍旧のご支援・こ協力をお顧い申し上げます。