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叙勲のパーティにご招待される

フェイスブック篇

平成27年2月7日

叙勲を受ける人がどういう基準で、具体的には誰から、何人、選ばれるのかは皆目見当がつかないが、毎回気になることがある。お招きを受けて言う立場でもないが、どの会場にも国旗が掲揚されていない。また国歌斉唱は開式の前に行うので次第に載せない形もあるが、実際行われた例はないに等しい。一体いつの時代からこうなってしまったのだろうか。

社会的貢献度のとりわけ高い皆さんと思いたいが、国旗掲揚や国歌斉唱をしない人から選ばれているのだろうか。周囲を慮って足して二で割る方式の人が推薦されることもあるだろが、式典で国旗敬礼や国歌斉唱をしないのは間違っている。

一体どこのどなたから認められたから叙勲の栄誉に与れるのだろうか。わが国の場合「天皇陛下」以外考えられない。それゆえに叙勲のお披露目をしたいなら、何はともあれ先ずは陛下に対して、自分を認知して下さったことに対する礼を尽くすことが、出席者と共になされなければならないと思う。これは人間として生きていくうえで最も大切な礼節の問題であって、主催者も含めて個々の参加者の政治的信条とは関係ない。

東京大学や京都大学では入学式や卒業式で国旗敬礼や国歌斉唱がなされていないと聞く。職場で使われるボールペン一本に至るまで国家予算で賄われているにも拘わらず、今年も知の上位入賞者に背徳を刷り込んでいく。大学の経営陣、教授陣はさぞかしインテリかも知れないが、通常の社会ではこれをボンクラで恩知らずという。

叙勲の条件としてお披露目をするなら必ず国旗敬礼、国歌斉唱を義務付けるのが筋だ。それをしたくないなら永井荷風宜しくひとり静かに押入れにしまっておいたらいい。人様をお招きしての公の場で、認めて下さった陛下に対してお礼の形も取れないような礼節を弁えない人だけは量産して欲しくない。

お呼ばれされているパーティが人の道にもとるものでないことを望む。