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「国立大で国旗・国歌 文科相『強要でない』」 本日の産經新聞より

フェイスブック篇

平成27年4月11日

叙勲を受ける人がどういう基準で、具体的には誰から、何人、選ばれるのかは皆目見当がつかないが、毎回気になることがある。お招きを受けて言う立場でもないが、私が知る限りどの会場にも国旗が掲揚されていない。また国歌斉唱は開式の前に行うので次第に載せない形もあるが、実際行われた例はない。一体いつの時代からこうなってしまったのだろうか。

しかし今日の産經の記事で分かったことがある。それはわが国のエリート教育の腰の引けた姿勢である。国家に身命を賭して奉仕する国民の指導者を育成するために国立大は創立されたのではなかったのか。これではまるで所謂「人権」の牙城、「反日」の砦なるが故に国民の血税が注ぎ込まれている感がしてならない。

国立大出身者の割合がどの程度かは分からないが、社会的貢献度のとりわけ高い皆さんが叙勲の対象者と思いたい。しかし、だからといって式典で国旗敬礼や国歌斉唱をしないのは間違っている。政府が消費税を10%に上げてまでこんな学士様を輩出する必要が一体あるのだろうか。社会的貢献人生の仕上げの儀式といってもいい叙勲のお披露目で国旗掲揚や国歌斉唱が慣行化されない遠因はこんなところにもある。

明治の時代も同じような悩みがあったが、わが国の先人はこの危機を見事に解決した。教育勅語の沿革がそれを物語っている。初等・中等教育で教育勅語が一日も早く復活することを祈らずにはおれない。

<教育勅語の沿革>明治5年に学制が発布され、教育の普及が始まりました。同時に当時の先覚者によって欧米の思想や学術が次々と翻訳輸入されました。海外の事情の把握や文明水準の向上には多大な貢献がある一方、欧化主義が流行し、国民固有の精神が揺らぎ、伝統的な美風が崩れていきました。明治19年に東京帝國大学を行幸された明治天皇も、最高の学府において人倫道徳の教育が不十分であることを憂慮されました。紀元2550年にあたる明治23年、国民精神の帰趨すべきところを国民にお示しになられたのが教育勅語です。天皇御自身が「みなその徳を一にせん」と仰せられた、不朽の国民道徳の詔です。