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簡単に子供を殺める愚

フェイスブック篇

平成25年9月14日

このところ些細な理由で他人のでなく自分の子を殺す親が散見される。但し書きが必要なくらい凝った名前をつけながら、炎天下の駐車場に車をとめ中に子供1人を残し、外から鍵を掛け、自分の用事を済ますため長時間放置する。何の用事かといえばパチンコだったりする。子供は電子レンジに入れられたみたいに蒸し焼きにされる。本当に考えられない文化だ。

私が生まれた昭和22年12月3日、母はひどい陣痛に悩まされながらも父と2人で私を産んでくれた。大東亜戦争で赴任先のフィリッピンで捕虜になった父が復員して帰ってきたのが昭和21年の暮れで、当時はお産婆さんから自宅で取り上げてもらうのが一般的な出産方法だった。

しかし肝心要のお産婆さんと連絡が取れず、やむなく母は1人で産むことになった。そこにたまたま父が帰ってきたので、お産婆さんに連絡をしたがとても間に合わず私が生まれてしまったという次第だ。母は横たわったまま父に色々と指図をし、父は父で忠実に母の指示を守り行い私を取り上げてくれた。産湯を沸かし、へその緒をたち、私を洗い、産声を発するまで対応した。そこにお産婆さんが到着したが、全て済ませた後で何もすることがなかった。「本当に良く出来ました」と言う言葉を残して帰っていったという。これが父の自慢で何百回聞かされたか分からない。

これが私が生まれた時代である。名は体をあらわす式の命名で亥年の3番目の男だから「亥三郎」となった。なお父は祖父に命名してもらっている。なんと麗しい文化なのだろうか。質素ながらも苦労して沢山の子供を産み育てていく夫婦の姿が美徳として尊敬される時代を復権させない限り、心無い親による子殺しは続く気がしてならない。