【朝令暮改ノススメ】有言実行 | 九州不動産専門学院グループ


 

朝令暮改ノススメ

ライセンスメイト篇
平成10年11月号「サイレントマジョリティ」
 昭和18年6月8日、大日本帝國海軍の誇る戦艦陸奥(排水量39,050トン)は広島の柱島沖合いにて繋留中、大音響と共に三番砲塔付近からまっぷたつに割れ、海中深く沈んだ。この爆発事故による死者は1,123名、半舷上陸によって地上にいた兵士は難を免れたものの乗艦中のものの生存者は200名にも満たなかった。自爆説、事故説、敵潜水艦による撃沈説等がとびかう中、海軍上層部による事故調査団は「散式弾の暴発説」なる形でその調査にピリオドを打った。結果は当時世界最強とうたわれた連合艦隊のすべての艦艇に搭載されている散式弾をことごとく陸揚げするという処置で落ち着いた。そして、事実その決定は遂行された。
 ここで戦艦なるものの装備について簡単に触れておかねばなるまい。1番・2番と砲塔が艦橋の前に2基、後に2墓(3番・4番)、計4基ある。それぞれの砲塔に主砲・副砲が2門づつ、計4門設置されている。要するに主砲、副砲あわせて計16門もの大砲が装備されていた。砲弾はといえば砲塔1基につき240発づつ積載されていた。うち50発が散式弾で残り190発は鉄甲弾という割合である。それ以外に無数の高角砲、機関砲等で文字通りハリネズミのように武装されているのが「戦艦」であった。主砲や副砲を担当する乗組員は職場でもあり居住区でもあるその砲塔の中で寝起きする。「敵艦見ゆ、戦闘配置につけ!」の第一声に瞬時に対応するためだ。
 次に散式弾なるものの説明もしておこう。これは主砲によって発射され、地上1,200mのところで直径700mの弾丸の破片の網となって敵戦闘機を把え撃墜するという代物である。散弾銃とバラ玉を想像していただければおわかりいただけるはずだ。これが当時の連合艦隊の戦艦すべてに配備されていたというのだから恐れいる。それまでの弾丸の主流は鉄甲弾であって、目的物に着弾してのち炸裂するという仕掛けだ。従来の鉄甲弾の常識をはじめて覆したのが陸奥爆沈事故の原因と見なされた散式弾であったのだ。それだけに海軍部内でもいろいろ異議異論はあったであろうが、とにかく戦艦すべてに配備された。そして現実に恐るべき効果が発揮されていた。しかし、それが今度の事故の張本人と判定されたのだからたまったものではない。
 しかし、問題は散式弾の各艦艇からの引き揚げにあるのではない。散式弾を開発した当の張本人からの再三再四の要求により何度も検認された結果、最終的結論として「原因は散式に非ず」となったことである。陸奥が轟音と共に爆発した際、吹きとばされた生存者は一致して爆発の前に3番砲塔からたちのぼってきた硝煙の色が散式弾のそれとは違うと証言したのである。
 当時の指導部は一回発令した散式弾の引き揚げを二度と覆すことはなかった。彼らに愛国心がなかった訳ではない、また敵戦闘力を沈黙せしめる意志がなかった訳でもない。否、それは鬼神もおののくものがあったであろう。しかし、それよりも官僚組織のもつ「朝令暮改の戒め」がひっかかったのである。一旦、発令したものを撤回するという意思に最も制御をかけたのは指導部としての、また調査団としての「メンツ」であった。
 およそ、組織には勝つために戦闘集団として訓練され運用されているものと、勝ち残ったのちに平和時に活用されているものの二種類がある。これはきわめて粗っほい分けかたであるが、民間企業の大半は前者に属するといえる。そして、この前者に属する筆頭が軍隊組織であることはいうまでもない。(いわゆる「お役所」などは後者に属する)
 そして、この組織の中で最大尊重されるのは勝つための鉄則・法則の貫徹であって、いわゆる「メンツ」は、それに奉仕するためのものでなくてはならない。断じて「メンツ」が優位にたってはならないのである。この観点にたてば、当時の指導部は「朝令暮改」すべきだった。そしてその事故調査委員会の再報告をもとにどんなにメンツがつぶされようが再び全艦艇に散式弾を配備すべきだった。
 歴史に「もし(if)」がないのは百も承知であるが、本当に惜しいことをした。これが実戦配備されていたかと思うとどれだけの敵機を撃滅し、どれだけの味方将兵を救ってくれただろうか。念のために言っておくが、この散式弾は当時、どの国の艦艇も配備していなかったし、いわんやその存在すら知られていなかった。ましてや、開発など全くもって考えてもいなかったものである。残念至極とはこういうことをいうのであろう。
 民間企業として存続していくことがまことに厳しい昨今の世相である。私はあえてここで言っておきたい。生き延びるため、勝ち残るためには決して「朝令暮改」を恐れてはいけないということである。
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