【戦後日本経済復興の陰の立役者】有言実行 | 九州不動産専門学院グループ


 

戦後日本経済復興の陰の立役者

ライセンスメイト篇
平成11年2月号「サイレントマジョリティ」
日本経済、昭和20年代の環境
 当時我々は自分自身を中進国と思い、土地も資源もない貧しい国だと思っていた。日本経済を立て直すためには戦前の繊維産業を中心とする軽工業でなく、工業の基本となる重工業から先進国になろうとする意図が強かった。この重工業の中で最も基本となる鉄鋼産業からの先進国入りを目ざし、極度に不足した外貨を鉄鋼技術の導入費に当てたと思う。
 アメリカから高価な特許を買い取った鉄鋼会社は製品の3~5%もかかる特許料を払うため、技術の習得と改善に励んだがアメリカの製品に急に追付くことは無理であった。(一般の認識では、日本がアメリカの技術を習い模倣したと思っているが、習ったというより高い金額で買い取ったという方が当たっていると思う。高い金額だからこそ元をとるため努力をし、その努力が日本の技術を高めたといえる)
 当時アメリカは日本の10倍の生産量と高級で大型の設備、高度な関連産業を持ち量産して、安い価格と高度な品質で世界に製品を供給していた。従って競争出来る相手ではなかったのである。

日本経済の立ち上がりに貢献した東南アジア諸国
 昭和28~30年頃、国内価格の60~70%で売ればアメリカの製品と競合出来るまでになり、品質もアメリカに近付いていた。このときアメリカの西海岸で東海岸からの運送費が高いのと(アメリカ鉄工業は東海岸に集中しているため)鉄鋼コストの対策で日本製品の買い付けが始まり、同時に東南アジアも買い付けを始めた。日本は技術を高めると同時に量産も始めたのである。
 かくして日本の鉄鋼製品が国際競争力をもつと、次に鉄鋼を主原料とする造船が力をつけ、更に電気産業、自動車産業が国際競争力をもつようになった。

何故東南アジアが日本製品を優先して買い付け、日本経済発展を支えてくれたか
 【理由その1】独断で申し訳ないが、戦争の影響があったことは否めない。東南アジアが戦争で日本の工業力を知り、同じアジア人として日本の製品を買い付けたと思うが、これだけでは理由にはならない。
 【理由その2】戦争中日本軍が大東亜共栄圏の実現を目ざし、アジア人のアジアを標語にして東南アジアに進軍した。しかし後になって分かったことであるが、昭和20年代「日本はアジアの植民地化を図り、アメリカが日本を打ち負かすことにより、アメリカが東南アジアを独立させた」というアメリカの考え方が行き届いていたのである。従って考えられるのが、日本が敗戦し、東南アジアに何もしてやれず軍が引き上げた後、数千人ともいわれる日本軍人が家族を捨て現地に残り、独立戦争に参加したことである。これは日本人も驚いたが現地の人も驚いたと思う。彼らは敗戦後も大東亜共栄圏の確立を止めなかったのである。このことが日本の戦争目的が侵略でなく、独立国家建設であったことを示す証拠となったと思う。
 【理由その3】東南アジアの日本製品優先買い付けが日本が経済大国になるまで続いたのは、戦時中の日本軍が現地の人に好意的で愛情があったことと推察される。食糧の徴発や残虐行為があったのは事実であろうが、大多数の日本軍人が現地の人のためを思っていたことが想像出来る。日本軍も内地に残っていた人も大東亜共栄圏を目ざしていたことは間違いない。日本は自国のためでなく、現地の人のため戦争しているのだと皆が思っていた。

結び
 日本の要人が戦争中の日本軍の行為に対し謝罪したことは聞いているが、戦後の日本への行為に対してお礼を言ったのを聞いたことがない。
 感謝の気持ちが人間関係も国家関係も友好を深めるものである。日本人は東南アジア諸国が戦後の日本を助けてくれて今日があることについてもっと実態を見つめ直し、感謝の気持ちをもつことを忘れてはならない。
文責 平野和彦
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