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「双十節の式典」がグランド・ハイアット・福岡で開かれました

フェイスブック篇

平成25年10月9日

明治44年(1911)10月10日、支那大陸の武昌において孫文率いる革命軍が義挙し、時の清国政府に対して反乱(=辛亥革命)を開始、10が二つ重なるその日を記念して「双十節」といいます。いわばこの日を国慶節(建国記念日のこと)としてお祝いする祝賀パーティが10月4日(金)18時30分からグランド・ハイアット・福岡で行われました。

主催は台北駐福岡經濟文化辧事處(戎義俊處長)と福岡県中華總會(呉坤忠會長)で、3階のグランドボール一杯に台湾を支援する福博の知名士や政界、経済界の重鎮が顔を揃えました。所狭しと並ぶ生花スタンド、次から次へと登壇し祝意を述べる衆参両院の国会議員、日台議連の県議、市議がそれに続く。そして経済界が殿軍(しんがり)をつとめる。乾杯のご発声まで約1時間、身じろぎもせず参加者は壇上の話に耳を傾けました。

しかし何といっても際立ったのは辧事處の戎義俊處長による主催者挨拶でした。相互往来する旅行者の数を引き合いに出し、現在の日台の親善友好度合を強調しながらも、今日の日台関係の淵源を日本統治時代に置いた形で展開されたのは、ここ福岡では戎處長が初めてではないでしょうか。明治・大正・昭和と枚挙に暇がないほどの日本人の名を挙げ、彼らが台湾の国づくり、人づくりに生涯を捧げられたことに謝意を表しながら、「恩」と「縁」の二文字で、壮大かつ感動的なスピーチを締めくくられました。

「皆さんご縁を大切にしましょう」、そして「ご恩返しをしていきましょう」と。

これに対しわが国の側は、残念ながらとても處長のレベルに対応した内容で答礼をすることができず、研鑚がのぞまれるところです。政界、経済界を含め、福博の知名士の国際感覚と一般教養の限界を切に感じた一日でした。また多くの日本人来賓の途中退席や国会議員のノーネクタイも気になりました。

 

当日ご参加下さいましたフェイスブックの仲間の皆様には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。