閉じる

メニュー

弱者救済とは強者の発掘と育成だ

ライセンスメイト篇

平成11年3月号「サイレントマジョリティ」

 民間企業に在職し、少なくても営業業務なるものを経験した者なら必ず身に沁みて判っていることがある。それは2割ないし3割のメンバーによって7割ないし8割の業績が担われているという事実である。これはある種どんな業務においても見られることであろうが、「営業」という業務においてはとりわけ顕著に表れる。私が言うのは「販売」ではない、あくまで「営業」のことを言っている。両者の違いの説明は別の稿に譲るとして、今回は営業でも「説得営業」、すなわち説得商品を販売する営業について展開していこう。

 およそ、この説得営業の推進過程ほど業績の落差を極立たせるものが一体他にあるだろうか。なにゆえこの領域では天地ほどの落差が発生するのか。これは、ひとつは人間の琴線なる部分に触れることなくしては購入の意思確認ができないからであろう。主観的にはどんなに「すばらしい」と信じていても、それが相手にとってそのように実感されない限り、そもそも話ははじめから成り立ちようがない。

 それでは売り手にとって「すばらしい」と確信しているものをいかに買い手に実感していただくかは、一ツ目は商品に対する確信の中味の問題である(なお、これは決定的なことである)。二ツ目は、売り手の帰属体に対する愛社精神である。三ツ目は、売り手が現在置かれている社内的地位や待遇に満足していることである。四ツ目は売り手が帰属体の経営方針や営業戦略に全幅の信頼を抱いていることである。五ツ目は社内的人間関係、とりわけ上司やトップとの緊張感ある良好な人間関係である。

 以上のことは逆に考えて見ればもっとリアルに実感できる。すなわち①商品知識が曖昧な上、業務に対するさしたる確信もなく、②勤務している会社がどうしても好きになれないばかりか、③不満・愚痴の種にこと欠かず、④経営方針や社是といったものに懐疑的で、⑤上司やトップを全く信用していなかったら、果たして内面から沸き上がるような説得営業は可能であろうか。いかに書店で営業のテクニックや技術のハウツーものを買い漁り、読みあさったところで結果は推して知るべしであろう。       

 ところが、ややこしいことに、以上の5点を完全にクリアーしたからとて説得営業ができるのか、というと、これがそうとばかりではないのだ。説得営業の場合、相手はひとである。しかも、目で見てもらったり、手で触れてもらったりできるものを売るのとは訳が違う。売り手の説明によってイメージをしていただかなくてはならない。だから、六ツ目には豊富な語彙能力とそれを駆使できる表現力とでもいうものが要求される。しかも、決断を促さなければ話はとめどなく流れるだけである。よって頃合を見図らって上手に購入の決断を迫る才覚も必要である。七ツ目の間合いと呼吸である。

 説得商品だからといって一方的にしゃべりまくってばかりいてはこれもまた辟易されるだけだ。かといって話し上手は聞き上手としゃれこんで終始一貫聞き手に回ってばかりいてもビジネスは成り立たない。結論としていえることは(これもこう結ばないと稿が終わらないからあえて結論づけるだけのことであるが)、相手の琴線に触れることをどれだけ豊かに且つ簡潔に、しかも活力をもって表現できたか否かによる。適当な距離感を維持しながらも友好的雰囲気で展開することはいわずもがなである。気品も教養も時代感覚も不可欠には違いない。しかし、決定的なことはそれらが相手の琴線に触れることに全て動員されていなければさほどの意味はないどころか、むしろ有害でさえあるということだ。

 また、決してあせってはいけない。長時間話し込んでも「せかせかした」印象しか残せない人も世の中にはいる。かと思うと2~3分の話でも非常に心和む余韻を与えてくれる人もいる。空腹の時より食後のひとときに話をした方が受け入れてくれるケースはひょっとしたら大きいかも知れない。時の選択である。ひとが相手の仕事はただ力まかせという訳にはいかない。いかにして琴線に触れる営業ができるかということが決定打なのだ。

 かく展開していくと、7~8割の業績を2~3割のメンバーが担当している秩序がいかに自然な摂理であるかを賢明な読者諸氏はおのずとご理解いただけるであろう。要するにこのあたりの能力や実力となってくると,もはや決して均等・均質にはいかないからだ。なぜ、と問われても困る。それがいわば人間だから、としか答えようがない。「微なるかな微なるかな」(孫子「用間篇」) こそ最適の回答といえるだろう。

 だから、タイトルの通り、全体で2~3割の業績しか達成できない7~8割のメンバーを企業が抱えこんでいくには、今までの稿で展開してきた能力や実力を兼ね備えた2~3割のメンバーの発掘と育成と定着が不可欠なのである。弱者の救済とは、決して弱者との格闘の中からは解答は見出せない。いわば、それはいかにして強者を発掘し、育成していくかという研ぎ澄まされた人事政策の中にしか具体的実現の道はないであろう。説得営業の例を引き合いに出してはみたが、この中に普遍的真理に近いものを感じるのはひとり私だけであろうか。