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報復の哲理(その2) 潜水艦 伊58號

ライセンスメイト篇

平成12年10月号「サイレントマジョリティ」

 大東亜戦争も終局を迎えつつあった昭和20年7月30日、アメリカ海軍の重巡洋艦「インディアナポリス」が日本海軍の潜水艦伊58號によって沈められたことは意外と知られていない。艦船が攻撃され、1分間以内に沈められることを「轟沈」というが、まさしくそれに相応しい戦果であった。カリフォルニア西方海上であったと思うが、これにより乗組員1200人中800人が戦死したと聞く。アメリカ大統領トルーマンはこの報に接し、「いいかげん、この戦争を終結させないといけない」と「原子爆弾の使用」に意を強くしたという。

 ストーリーを「インディアナポリスの轟沈」から開始すると大半の読者はアメリカにも言い分があると思われるかも知れないのでもう少し詳しく説明しよう。「インディアナポリス」はある兵器をアメリカ本土から太平洋の孤島テ二アンに運び終えてからの帰路にあったのである。そして、その兵器とは何を隠そう、同月(7月)の16日にロス・アラモスの試験場で歴史上初の核実験に成功したばかりの原子爆弾であった。

 当時、アメリカは戦局の根本的な打開をマンハッタン計画による最終兵器の開発と成功に賭け、それこそ国家総動員でことに当っていた。その結果、完成したのが2個の原子爆弾であった。ひとつは「リトルボーイ」(小僧)というニックネームの直径0.71m、長さ3.5mの代物で広島で使用されたもの、もうひとつは「ファットマン」(太っちょ)というニックネームの直径1.52m、長さ3.25mの代物で長崎に投下されたものであった。

 戦後の国際秩序を睨んでいたアメリカは、自らの陣営に引き込むことに成功はしたものの抬頭しつつあったソヴィエト連邦を牽制する意味もあって、自らが日本に対して「いかに早く勝つか」という従来のスタンスに「いかに残虐に勝つか」を加えることになった。戦後世界体制のヘゲモニー(主導権)を握るためには「いかなる勝ち方」が最も重要であるか、という問題意識から兵器を選択したといっていいだろう。そして、「最も残忍な勝ち方」を担保してくれるものとして選ばれ、作られたのがこの原子爆弾であった。

 マフィアは自らの力の絶対性を内外に誇示するために最も残酷な処刑の仕方をする。そうすることによって残された者が報復の思いに傾斜するのを予め断ち切らせる。「やられたらやり返せ!」とはいうものの、余りの惨さゆえに「特攻隊員」の心境にでもならない限り(自らも死を覚悟しない限り)、決して報復などできるものではない。

 話を本題に移そう。昭和20年8月6日、広島では7.8万人が焦熱地獄の中で焼き殺され、かろうじて死を免れたとはいえ、負傷した人は5万人を超えるに至った。そして、8月の9日には追い討ちをかけるように長崎に第2弾が投下され、ここでも、2.5万人が焼き殺された。摂氏3千度とも4千度ともいわれる灼熱の溶鉱炉の中に町全体が丸ごとたたき込まれたのだった。それはさながら燃え盛る太陽がそのまま地表にこすりつけられたかのようでもあった。死体が残ったのはまだ幸せだとも言われた。それもそのはず、余りの高熱ゆえ、多くのケースは生きながら煙や水蒸気となって空中に舞い上がってしまったからである。

 それにも増して残念なのは潜水艦伊58號であった。歴史にイフ「もし(if)」がないのは十分判った上でだが、もし、インディアナポリスをアメリカ本土からテニアンへの往路で仕留めていたら確実に歴史は変わっていただろう。まず第1にカリフォルニア沖を航行中のアメリカ艦船で世界初のキノコ雲が発生したということ。第2に運搬中の代物が事と次第によっては自国の兵士をも殺戮し尽くす化け物であるということがアメリカ国民にも判ったということ。第3にアメリカ軍の兵士が自らが所有している兵器の実相に直接触れることにより、その使用に多大の逡巡を与えたであろうということ。第4にそう簡単に反復生産の出来ない時代のためヒロシマやナガサキは仮にあっても相当おくれたであろうということ。第5に終戦は決してあのような形にはならなかったであろうということ。etc.

 終戦後、伊58號の艦長や乗組員は占領軍であるアメリカ軍から徹底して取り調べを受け処刑されている。それにひきかえ、爆撃機「エノラゲイ」に搭乗し、原子爆弾を投下したパイロットは天寿を全うしたという。また、日本の都会という都会を火の海にする作戦を指揮したカーチス・ルメイは昇進・昇格し、東條英機は「平和に対する罪」・「人道に対する罪」で絞首刑にされている。

 わが国に対して、アメリカは報復心を断ち切らせるほどの残忍な勝ち方をした上に、敵愾心・闘争心を忘れさせ、芽ばえさせないような戦後統治をした。そして、現在それを忠実に継承している「和製GHQ」が一部マスコミと日教組を中心とする反日勢力である。ヒロシマを生き、ナガサキを見つめるとは、この反日勢力と闘って勝利を積み上げていくことなしには一歩も前進しない所以はここにある。