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修学旅行の正体(下) 思想改造の水脈

ライセンスメイト篇

平成15年2月号「人と意見 シリーズ修学旅行 教程その1」

日本版「ピオニール」

 世界の百九十ヶ国が国連に加盟しているが、小学校五、六年から中学校三年くらいまでの時期を「反抗期」と呼ぶ国は日本だけで、戦前にはなかった用語だ。他の国では「自立期」といっている。

 子供の身勝手な言動でも「反抗期」という用語で包めば正当化されてしまう。子供たちに、日本の国家や親、年長者などを常に批判的に見る目を育てれば「反国家思想」も育つ。日教組は、日本の民主主義社会を倒して共産化する、つまり中国の属国にするには、次代を担う子供の思想を改造すればよいと計算した。そしてその子供の思想改造戦略の水脈に修学旅行を位置づけた。

 ピオニールや人民公社のような形で隔離教育ができない日本で、四日とか五日の隔離ができる修学旅行は、子供の思想改造の絶好のチャンスといえる。修学旅行は「日本版ピオニール」といってもよさそうだ。

 従って、中国の修学旅行では「抗日記念館」と「南京屠殺館」が不可欠の見学先になる。ここで子供たちは、いかに日本という国がつまらない国か、いかに残酷な国か、いかに醜い国か、を頭の中に叩き込まれ「だからその罪滅ぼしをすることを人生の目的にしなければならない」という意識を刷り込まれる。

 「抗日記念飴」や「南京屠殺館」を見学した子供たちは、かつて経験したことのない衝撃を受けて、泣きだしたり悪寒を覚えたり、震えだしたり、時には失禁する子供まで現れる。子供たちは日本を「呪われた国」と思うように洗脳されてしまうわけだ。

 日本に帰った途端に、子供たちは親のいうことを聞かなくなる。「慰安婦問題」を信じて、親が汚らわしい存在に見えてくるのである。そのほか、日本を自分たちの代で終わらせようと考え、子供を産まない決意さえしてしまうケースもある。学校的な実相としては学校崩壊という形で表れる。要するに、中国のプロパガンダの影響は、日本という国家、政府、社会が伝統的に築き上げた決まりごとや美風の軽視や破壌になって表れるのである。

 私たちは、中国が修学旅行を誘致するのは、円稼ぎと文化大革命・ピオニールの手法で進める反国家思想をもつ国民の育成が目的であることに気付かなければならない。

接ぎ木の花

 今年七月、鹿児島県議会は、新しい歴史教科書をつくる会鹿児島県支部が提出した、県立高校の中国、韓国修学旅行の訪問先から「虐殺記念館などのプロパガンダ施設」を除外するよう求める陳情を賛成多数で採択した。陳情はその埋由を①反日洗脳教育の牙城ともいうべき訪問先が特定の教師集団の意向で決まるのは公平さを欠く、②未確定な事柄に関する政治的宣伝の場に生徒を誘導することは公教育への信頼を失墜させる、などとしている。採択した鹿児島県議会の見識を讃えたい。

 多くの人は「たかが修学旅行」と、訪間先にまではなかなか関心を寄せない。親も、自分が行った時代の修学旅行と同じように考えて問題意識を持たない。それでは、政治家はというと、これも選挙権のない子供の問題より、病院に横たわっていようとどういう状態であろうと一票を持っているお年寄りにばかり目が向く。心優しいからではない。票になるから介護間題にかかわるのだ。

 国の未来ということを考えれば最も重要なテーマは「子供」である。

 小学生や中学生、高校生の時代に京都や奈良の古都を訪ね、神社・仏閣を見学して、先人たちの精神文化や建築技術を、あるいは巨大なダムを目の当たりにして現代人の優れた土木技術を純粋な心に焼き付かせた、かつての修学旅行と、南京屠殺館に行ってたっぷりと反日宣伝を受け、帰国後もその打ち消しのフォローもしない修学旅行では、必ず生徒のその後の人生の花の咲き方が違ってくる。南京屠殺舘に行った生徒には、支那人が接ぎ木されたも同然で、おそらく日本人という花は咲かないだろう。日本人の顔をして日本語を話し、日本人のDNAを持ちながら精神は支那人なのである。

 中国の日本に対する内政干渉は目に余る。しかし、それはわが国政府の対中国「土下座外交」に起因する。

 中国は日中国交締結の折、蒋介石を意識して大人ぶりをみせようと条文に「過去を問わない」と書いてみせた。ところが、敗戦国であるはずの日本の繁栄を見て、嫉妬心がわいた。そして、日本が戦争責任を問われると腰砕けになることに気付いた。しかも、対日外交カードとして、これを出されると日本が居直りきれない「南京」「慰安婦」「教科書」の三枚のエースを手に入れた。

 三枚のカードが「事実」というわけではない。進駐軍による、NHKを使った「東京裁判」の宣伝に国民が改造され、贖罪意識を植えつけられてしまったのだ。進駐軍の一方的な言い分ばかりで、真実が伝えられなかったのは、骨のある官僚、政治家はみんな公職追放されて表舞台にいなかったからである。「南京屠殺館」は中国の対日外交姿勢を象徴的に表しているといえよう。

 歴史の真相も弁(わきま)えず、流行の電車に乗り遅れまいとするかのように中国へ行く。中国修学旅行は、本当に、日本のお墓参りの伝統とは正反対の行事になってしまっている。祖先崇拝、祖霊崇拝から祖先怨恨、呪詛へと大転換している。

 そのために金をかけ、労力をかけ、知恵を絞っているのが、今の修学旅行だ。私たちは、正体を見破る目を持たなければならない。