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修学旅行の目的(1) 崇高なるものとの出会い

ライセンスメイト篇

平成15年3月号「人と意見 シリーズ修学旅行 教程その2」

博多人形との出会い

 NHKの夜のテレビ番組で、ある福岡の大学を卒業した若い女性が博多人形師の道を志して一人前になって行くドキュメンタリー放送があった。私も地元福岡の住人の一人としてついつい見入ってしまった。

 話の筋はこうである。その娘(こ)は学生時代に絵を勉強していたのだが、ふとしたきっかけで博多人形の展示会に足を運ぶことになる。そこで出会った『熊野(ゆや)』という作品に釘付けになる。全身電気が走ったような感動に襲われ、それまでは地元の「名産品」か「土産物」としてしか考えていなかった博多人形がいきなり崇高な芸術作品に感じられるようになったという。その作品の精巧な出来映えといい、今にも歩み出しそうな躍動感といい、繊細な博多織の色合い、肌ざわりといい、一体全体粘土から作り上げる焼き物で如何にしてこれほど人に感動を与えるものができるのであろうかという衝撃を感じたという。それなりに絵の道を極めようとがんばってきた彼女にとって『熊野(ゆや)』との邂逅はそれほど人生の運命的な転機になったのである。

門前払いにもめげず

 それからの彼女の行動は一途の一語に尽きる。まず、お目当ての博多人形の工房を訪れては就職、というより「入門」をお願いする。大学在学中の時である。お願いしては断られ、門を叩いては追い払われる。しかし彼女はめげずに求めていく。工房の断る理由はこうだ。①就職の第一目的が「生活のため」であるならたいした待遇はできないので、外に行ってもらいたい、②人形を己の手で作ってみたい一心で来たのなら有難い話ではあるが、徹夜作業がたび重なるような職場でもあるし相当の覚悟が必要だ、それにあなたはわざわざ大学に4年も通っているのだし、もっと勉強したことが活かせるところがあると思う、というのが工房の言い分だ。

 しかし、岩をも通す桑の弓の一心さとでもいうか、彼女の熱心さがついに親方の心を動かす。入門が許され下積みからだんだんと一人前の仕事を任せてもらえるようになっていき、ついには職人としては一本立ちの証である『人形の型作り』をなしとげるまでのドラマであった。

人が謙虚になるということ

 引き込まれるようにこのドキュメンタリー番組を見てしまったのだが、あとでしみじみ思ったことが三点ある。

 そのひとつは崇高なるもの、気高いものに触れた時、人は謙虚になるということ。もうひとつは崇高なるもの、気高いものに感動する心をもつことこそが人が謙虚になる前提であること。最後は、謙虚な人だけが道を極めていくことができるということ。

最適の地・台湾

 ここに修学旅行の対象先に奈良や京都と並んで台湾が適している根本的な理由がある。

 日本人によるかつての台湾統治があったればこそ今日の台湾があると公言してはばからない現地の人々から発せられるのは、明石元二郎や後藤新平、新渡戸稲造といった明治の為政者、教育者や大正の土木技師である八田興一にいたるまでその崇高な事業を賞賛してやまない言辞の数々である。そしてそれらの事業の担い手である彼らをはぐくみ育て輩出したわが国・日本に対する全幅の信頼感である。

 人生の中で多感な時代にこのような過去の偉人・偉業との邂逅がなかったばかりに終生指針を見出せないまま無為な人生を送らざるをえなかった人がいかほど多くにのぼっているか、世の「教師族」はもっと真剣に考える必要があるだろう。(もっとも教師自身がそうである場合が多いのだが…)

 「聖職」に昇華される道を自ら閉ざし、専ら「労働者」と標榜してはばからない「教師」をわれわれは決して「先生」とは呼ばない。敬称を用いる必要がないからだ。崇高さがない人、絶対的な権威を感じさせない人、気高さのない人には誰も謙虚にならない。受け持ちの生徒でさえ同様といえる。すなわち、日教組の綱領に「教師は労働者である」とうたわれた時から今日の「学級崩壊」は予測されたことであったといえるだろう。

 修学旅行の担当教師はよくよく自戒して、その目的地や、研修課題や、体験目標といったものを決定してもらいたい。それは修学旅行の重要な目的のひとつに自らのアイデンティティや帰属体に対する誇りに目ざめさせることがあるからだ。