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修学旅行の目的(3) アジアの戦跡を訪ね英霊を顕彰しよう

ライセンスメイト篇

平成15年5月号「人と意見 シリーズ修学旅行 教程その2」

アジアの戦跡を訪ねよう

 現代の修学旅行の目的地で欠落しているもののひとつに「アジアの戦跡」がある。無論、引率の先生にはそれなりの解説ができるよう入念な事前学習をしてもらうことは勿論、生徒自身に「戦争」についてしっかりと展開できる教養と愛国心を持ち合わせていることが求められる。わが国の先達が担ってきた国土防衛のための血みどろ、汗みどろの苦闘である明治以降の「戦役」に正面から向き合うことなくして「アジアの戦跡」の説明は不可能だからだ。

血を流してまでも守り通した自主性

 明治の昔、わが国は「日清」・「日露」の二大戦役に勝利して支那帝国の華夷秩序にも、欧米白色人種の帝国主義的・領土的野望にも屈さない思想と力量を有している国家であり民族であることを全世界に知らしめた。お陰で今日に到るに天皇の御世に生きることができ、国語(日本語)で表現することができている。お正月を迎えられ、神社にお参りができるのもわが国が独立を守り通してきたからである。「わが国の歴史と文化と伝統」などと言えること自体すべてかくなる戦役で斃れていった先達のお陰である。

私たちを導く累々たる人柱

 時は昭和の「大東亜」戦役まで含めると国を守り、家族を守るためにたったひとつしかない命を楯にして死んでいった人の数は246万6千余柱にのぼる。その間ざっと50年である。毎日平均135人が国土・国民を守るために自らの命を捧げていった計算になる。世界の有色人種の歴史でこれだけ長期に亘って続けられた自己犠牲の歴史を私は知らない。「公に殉じる」という最も精神性の高い行為は白人だけの専有物ではなかったということを世界は目のあたりにしたのである。

五つの要塞と軍港

 日清戦争後の下関講和会議において当時の清国から割譲を受けた台湾と旅順、しかし、その後の三国干渉によって旅順を横取りしたロシアはその地に難攻不落の要塞と軍港を築いた。米西戦争で力をつけた米国は太平洋まん中のハワイ・オアフ島の真珠湾と西太平洋のフィリピン・コレヒドール島に彼らが豪語する世界一の軍港と要塞を建設した。日の没する所なしと栄華権勢を誇った英国は支那の香港島とマレー半島南端のシンガポール島にこれもまた鉄壁防禦の要塞を構築した。

 これらは全てロシア・米国・英国という白人列強が有色人種アジアから徹底して収奪・搾取するために作り上げられた帝国主義的支配秩序の根幹をなすものであった。

ことごとく打ち破ったわが国・日本とわが民・日本人

 一体、これらの秩序に自らの命も顧みず一身をなげうって挑み、それを破壊し尽くしたのは誰か。

 それは他ならぬわが国・日本の先達であった。支那人でも朝鮮人でもなく、マレー人でもフィリッピン人でもなく、ハワイ人でもなかった。それはわれわれ日本人であったのだ。

 これは何を意味するか。わが国・日本が戦わなかったら、そしてこれら五つの要塞や軍港をことごとく壊滅させるような戦いを実行してなかったら、世界(アジア)は依然としてロシア・米国・英国の軛のもとにあったということである。

 それは平成15年4月の今日に至るもいささかも揺るがぬ真実である。

語り継ごう、壮大な民族の叙事詩を

 北からのロシア、東からの米国、そして南からの英国や蘭国と明治・大正・昭和の先達が命を賭して戦ったからこそ今日のわが国・日本はあるのだ。

 それは逆の想定をすれば児童でも判ることである。つまり戦わずして国を売り、民族を裏切る指導者が半世紀以上もの長きに亘って誰もいなかったのが不思議なくらいである。(それは、国内戦においてそのような勢力や思想に勝ち抜いてきた証左でもあるのだ)

 教師はかくなる壮大かつ壮絶なドラマを、自分たちの子孫である子供たちにぜひ語りかけていってもらいたい。

 劣等人種とさげすまれ、開国を迫られ、不平等条約を押しつけられ、関税の自主権までも奪われながらも、ひたむきに学び、働き、吸収し、健気かつ勇敢に戦いつづけた先達の労苦があったればこそ、私たちは同じ島国であるマダガスカルやフィリッピン、インドネシアと違った歩みをしてこれたのではなかったのか。

 かくして、国敗れたとはいえ、欧米諸国から尊敬と畏怖の念をもって見られ扱われるようになったのである。

 アジアの戦跡の訪問と英霊の顕彰を是非とも修学旅行のカリキュラムに加えていただきたい所以である。