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修学旅行への提案(2) 神社に行こう

ライセンスメイト篇

平成15年7月号「人と意見 シリーズ修学旅行 教程その3」

産土様とは

 わが国では古来「八百万(やおよろず)の神」といって生きとし生けるものは全てにわたって霊が宿っていると信じられてきた。

 それが故に物を大切にし、自然界のものすべてにいわば「故郷(ふるさと)」のような感じをいだいてきた。そして、この感じ方に異議を唱える人は世界広しといえども誰もいなかった。

 そのような極めて無垢な考え方・感じ方に根をもった形で社(やしろ)を作り、地域社会の人々が、その上で生活の営みをしていくところの土地を祀り、山や森や川といった自然を祀ってきたのが神社である。土地の神様の由縁である。(かつてその地域社会の尊崇を集めた故人をその地域の護り神として祀るようになったのは、ずっと後世になってからである。)私たちの祖先はそれを地域の「産土様(うぶすなさま)」として大切に扱い、社を作り、祭事を行い、伝統文化を創造し、連綿と継承してきたのであった。

神学のない「宗教」

 以上のような歴史的経緯からして、我が国の人々の崇ぶ神様は自然(宇宙)や自然の法則であり、命の本質そのものであった。(それに後世、歴史上実在した人々が加わってきたのであった。)それがために、「そうありたい」、あるいは「そのようになりたい」もしくは「お陰様で」として、自己の将来目標を設定したり、今日の生あるわが身に対して謝恩の気持ちを素直に(自然に)いだくことが可能であった。

 人の気持ちの中に自然と溶け込むこのような考え方にとって「神学」は必要でなかった。むしろそれは現在ある自分と神様との距離を隔てこそすれ、近づけるものでは決してなかったのである。

 すなわち、わが国における神様は親(=命のもと)であって、この世界(自然)は親(神様)が用意したものであり、世界、自然は神様そのものと考えられてきたのであった。

燈台もと暗し

 ところが余りにもありがたい神様にこれだけ囲まれていながら、又、生活の隅々まで習俗化された慣わしの中に身を置いていながら、さっぱりといっていい程知らないものもまたこの神様である。海外からは「神々の島」と言われて久しいのだが、同居・雑居状態の中にいながらその生命の元(木にたとえれば根、見えないけれども一番大切。これなくしては自分の存在は無い。)について全く無知といっていいのが現在の私たちではないだろうか。大和民族の継承においてとにもかくにも命を賭して戦ってこられた先達に対してこれでは余りにも申し訳ないではないか。

大人の責任

 泰平を謳歌し、繁栄を享受するのもいいだろう。あるいは世界を闊歩し、ジャパンマネーを駆使し商人(あきんど)として功なり名を遂げるのも一向にさしつかえない。しかし、何か大切なものを置き忘れて前に進む人生みたいで心が満たされないのではないだろうか。

 都市計画の快腕でキャンバスに未来都市を描くのもいいだろう。しかし、何か忘れていないか。

 西洋社会が決して「教会」抜きには都市を作らないことを、あるいは「礼拝堂」抜きには学校を建設しないことをわが国の行政当局者はご存知なのだろうか。民族の歴史の切断も継承も私たち大人の肩にかかっているのである。

 私たち大人がほんのちょっと、すなわち1日24時間のうちほんの一瞬でも心にとめてくれるだけでいいのだ。計算しよう、1日の1000分の1、そう86.4秒間だけでいい、神様のことに思いをめぐらし、周りに話していこうではないか。そのためにわが国の神々に大いに興味を持っていこうではないか。

恰好の契機となる修学旅行

 わが国の若い人々に、しかも柔軟な思考ができる学生時代に、できるだけ神様とひき合わせていこうではないか。一寸工夫しさえすればいくらでも可能な話である。決して出来ないことではない。今、生きている人だけを相手にするな。今日を今日たらしめた、そして私たちに生命(いのち)の聖火を点灯してくれた遠い昔の故人を、あるいはその故人の連鎖を誕生させ育んでくれたわが国の大地と自然を偲ぶのは、ほんの少しの行動で可能になる。都会の雑踏の片隅で静かに佇む神社に行ってみればいい。あるいは『伊勢』に『靖國』に『明冶』に『平安』に行ってみればいい。何と多くの神々に囲まれその慈しみと愛情の加護の中に私たちが生を享受できているかをとくと知ることになるであろうから。

 修学旅行の目的地に神社を推挙する所以である。