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修学旅行への提案(3) 日本精神と公心

ライセンスメイト篇

平成15年8月号「人と意見 シリーズ修学旅行 教程その3」

祖国は日本

 台湾で生まれた言葉で、我が国の人々に是非とも知って欲しい言葉に『日本精神』がある。かって、シンガポールのマハティール首相が「ルック・イースト」(東方=日本に学べ)と言ったのと同じように、私たち日本人にとって非常に勇気を奮い立たせられる言葉である。

 台湾の人々は明治28年(西暦1895年)の下関条約によってその島が我が国に割譲されると同時に、時の政府の手厚い保護のもと、一躍近代国家として自らを確立させるにふさわしい社会資本を整備するに至った。日本統治は半世紀・50年という短い期間であったにもかかわらず、彼らの中には今なお、我が国・日本を祖国と思う意識が根強く残っている。

一視同仁

 それというのも、ひとつには我が国が台湾人に遍く施した日本教育があげられる。西洋人である欧米白色人種の伝統的な統治手法である人種差別政策をもたない我が国は「一視同仁」の姿勢で台湾人に対しても同じ日本人として平等に教育してきたのであった。

 西洋人の徹底した言語統制的なやり方(自分たちの母国語の押しつけ)を排し、現地語と我が国・日本語の歴史的共存を認めた懐の深い教育システムは、いやが応でも彼らの日本への帰属意識を高めるに至った。それは白人と支那人の植民地支配が白人至上主義や中華思想(華夷秩序)といった独善的な排外主義に基づいたものであり、血の弾圧と富の根こそぎ収奪といった本質から逃れられないのとは根本的に性格を異にするものであった。

下関条約

 もうひとつあげられる理由は、台湾の帰属をめぐっての取り決めは国際法的には下関条約が最後であるということだ。

 すなわち「日本の帰属」であるということである。確かに昭和20年(西暦1945年)のポツダム宣言によって我が国は現在の領土以外の地からの軍隊の即時無条件撤退を余儀なくされた。しかし、それは軍隊の撤収ということであって、下関条約を否定したものではなかった。つまり、ポツダム宣言の履行によって台湾という丸裸の無主の島が残されたと考えるのが妥当といえるだろう。

非常識な北京の主張

 そういう状態の台湾に共産党との内戦に敗れた蒋介石政権が大陸から軍隊を伴って移動してきたというのが正確な記述である。だから、蒋介石政権が、仮に無主の島がフィリピンであったとして、かの地に逃れていたらフィリピンも同じ状態であったはずである。

 したがって大陸・支那の共産党が台湾を支那の領土であると公言してはばからないのはどう考えても無理がある。仮にそうだとすると、大陸での内戦に敗れて逃れていったリーダーの居住する場所は全て支那の領土となってしまうからである。それは土地であり、島であっても、決して「主権ある領土」とは呼ばない。これが国際法的に言っても世界の常識なのだ。

 かくして、台湾の人々にとっては今日に至るも「母国は日本」の状態で時計の振子は止まっている。これが国際法の観点からの展開である。一部少数の外省人や、台湾の国民党の中に巣食いながらも北京に忠誠を誓う隠れ共産党員を除いて、大陸・支那を母国と考える台湾人はいない。

日本精神の誕生

 今迄の説明でお判りのように、①50年に及ぶ日本統治とまごころ溢れる教育の実績と、②下関条約の国際的効果が台湾の地において『日本精神』という言葉を誕生させたといっていいだろう。無論、これだけがこの言葉の誕生の背景ではないが、大きな要因であることだけはお判りいただけるはずだ。

 その『日本精神』を是非とも我が国の若い世代に学ばせに行ってもらいたいものである。彼らがいうところの『日本精神』の詳細については後日展開させていただくとするが、目玉は「公心(おおやけごころ)」である。

 台湾の人々は日本人からはじめて公心というものを教わったという。

ワーム(虫)

 反対に日本統治の及ばなかったかの地、大陸・支那では依然として公心が育っていない。何億人がひしめいていようとそれぞれは皆自分の事ばかり考えている。だから彼らは自分で自分のことを自嘲的にワーム(虫)という。これが偽らざる支那の実体なのである。それが由に世界を二分するような戦い(いわゆる大戦)では有史以来一回も勝った経験がないのも支那である。というより、そもそも参戦すらできていない。公心の最も発揮されなければならない局面は、①戦争を含むところの国造りの時であり、②社会一般に通用しているところのソーシャルジャスティス(公義)を貫く時である。公心のない、あるいは極めて乏しい支那ではだから誰も信号を守ら(れ)ないのだ。口を開けば「中国4,000年の歴史」というが、言葉をかえれば4,000年教育しても交通法規ひとつ遵守させることができなかった国(政府)、そして履行する気のない国民、それが支那である。

支那事変

 私たちほ今回のサーズ(=支那肺炎のこと)の1件でも明らかになったように白を黒と言いくるめて何食わぬ顔をしている国、又、自らが輸出したサーズで台湾がのたうち回っているにもかかわらず、ありとあらゆる手段でWHOの台湾介入(=援助)を妨害しようとした入権無視の国に身の危険も省みず生徒を引率していこうとする先生の気が知れない。

 私心(わたくしこころ)だけで公心のない国、道ゆく人が誰も信号を守らない国、強圧と賄賂が横行し、他国を限りなく侵略し、華夷秩序を極限まで押しつけてやまない、まさに地球上最後の中世の砦といってもいい野蛮な国に、なぜ大人が奔流のように押しよせるか判らない。経済面における支那事変から早く目をさまして欲しいものである。

 修学旅行の目的地に台湾を推挙する次第である。