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修学旅行の精神 わが国の歴史・文化・伝統の聖火ランナーが膨湃と生まれる修学旅行を

ライセンスメイト篇

平成15年9月号「人と意見 シリーズ修学旅行 教程その4」

ルカーチとグラシム

 1923年(大正12年)にドイツ・フランクフルト大学において「マルクス研究所」を創設したマルクス主義者・ルカーチによると、近代社会を支えてきた伝統的な価値基準は全て批判の対象であるという。ハンガリー革命に参加した彼はその失敗によりソ連に亡命したが、敗北した革命の原因は「民衆の伝統の文化の存在」であると総括した。後年ハンガリーのベン・クン体制で、教育人民委員代理になったルカーチは自らの思想を実践に移した。すなわち幼い子供たちに自由恋愛思想やセックスの仕方、中産階級の家族倫理や一夫一婦婚の古臭さを叩き込み、宗教理念なるものは人間の快楽のすべてを奪う何物でもないとして、唾棄すべしと教育した。過激な性教育といい、伝統文化の破壊といい、もしこれと同じことが現代日本で行われているとすれば、まさに復刻版共産主義教育の実践といってよい。

 一方、革命後のロシアをつぶさに見聞したイタリア共産党のグラシムによれば、共産主義革命とは従来の政治・経済・軍事の変革だけでは成就はおろか、その端緒にさえおぼつかないという。ロシア革命の前途に絶望した彼は、近代社会を構成する、とりわけ私たちの内心面における安定的な状態を規定するあらゆる規範を破壊し尽くすことこそが全てに優先する課題であるとして、労働者階級にかわる革命の新兵として歴史的に反主流派とされる層、経済的に虐げられた人々だけでなく、男性に対する女性、多数民族に対する少数民族、犯罪者までの全てを募兵の対象とした。

隠れキリシタンならぬ隠れコミュニストの共通項

 古くはルカーチやグラシムだが、近年のフロムやサルトルにマルクーゼ、最近のチョムスキーといった知識人たちも同じ穴の狢(むじな)である。形を変えた共産主義者(コミュニスト)で、政治・経済・軍事の面においては政権与党の政策に『絶対反対、何でも反対』の姿勢を公言してはばからず、専ら美術・演劇・文学・音楽・バレエから映画・写真・教育・メディアといった領域を主戦場として活動している。

隠れコミュニストと彼らに触発された人々の共通項

①悪いのは全て自分以外

 まず全ての矛盾(犯罪や災害等含む)の原因を社会に求める考え方である。つまり、いつも悪いのは、そして原因を作るのは「自分以外」ということなのだ。結局、主語不在の「社会悪の糾弾」という方向に全てをもっていこうとする。国家賠償請求訴訟の激増はこの思想の波及をあらわしている。

②絶対に責任はとらない

 次に特徴的なのは、自らの発言に絶対に「責任を取らない」ということである。口八丁の彼らは素直に非を認めず、自分が吐いた言葉さえもその原因を社会のせいにする。久米宏・筑紫哲也・田原総一朗など大半のニュースキャスターと称する人たちがこの範疇に含まれる。

③伝統こそが敵

 そして既成概念や古くから伝わってきた伝統的な価値の体系(慣わしや決まり事を守るといった一般的な行為も含めて)をおちょくり、小馬鹿にした態度を取る。(それこそが彼らが破壊したくてやまない対象であるから。)

④団体行動を忌避

 又、個人的な行動を好んで選び、団体行動・集団行動を忌避する。連帯責任を憎悪し、個人の勝手だと論陣を張る。しかし、伝統的な価値の体系を破壊するためなら国境を越えてでも即座に連帯する。

⑤二元論

 支配階級と被支配階級の対立だ闘争だのと、社会を二元論的に捉えることしか知らず、社会規範を犯した犯罪者を「支配階級にたちむかう英雄」としてまつりあげる「はなれ技」さえ平気でする。被害者とその身内の人権を蹂躙することなど、とんと眼中にない。この考え方にとっては犯罪者こそが「世直しの新兵」というわけだ。

回答の宝庫としての修学旅行

 結論をいおう。修学旅行とは、これら隠れ共産主義者のもつ傾向というよりその伝道目的(プロパガンダ)にひとつひとつキチンと対抗する形で組み立て遂行されなければならないということである。

 ということはまず団体行動を旨とし、伝統的な価値を体現・具現したところが目的地として定められるべきであるし、自由行動を許すならその生徒たちに自己責任の原則を貫かせるべきであろう。又、共産主義を標傍する国は当然目的地から外されてしかるべきである。

 修学旅行に行く前より帰ってきてからの方が親を尊敬するようになり、遵法精神も高揚するようでなければならない。そして、何よりも参加した生徒自身が世の為・国の為と何らかの志しを立てられるような契機が道中、ふんだんに盛り込まれていなければならないのだ。担当の先生の一考を乞う次第である。