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修学旅行の土壌 わが国を世界の若者に来てもらう修学旅行先に

ライセンスメイト篇

平成15年11月号「人と意見 シリーズ修学旅行 教程その6」

なぜわが国への修学旅行は少ないのか

 わが国から海外に行く旅行者の数(流出)と海外からわが国に来る旅行者(流入)の数とはおよそ「3対1」であるという。国際関係における「旅行」も貿易収支の面からいえば輸入3に対して輸出1という完全な輸入超過である。

 今回はその理由を修学旅行の面から展開してみたい。わが国の学校の先生がその生徒を海外に引率していく総人員と、海外の先生がその生徒をわが国に引率してくる総人員の比率は何と「20対1」という。(近畿日本ツーリスト)平均で3対1というが、こと修学旅行となるとこの開きは何と説明したらいいのだろうか。

考えられる第1の理由は物価

 まず第1に考えられるのが「物価」である。つまり、相当の費用をかけないとわが国・日本での修学旅行は不可能であるということである。

 現在の為替レートの環境では円安ならばわが国への旅行が割安になるが、円高だと逆に海外旅行に弾みがつく。そして現在の情勢は固定相場制だった時代の「1ドル=360円」が「1ドル=115~125円」と頻繁に変動する関係になってしまった。360円用意しないと1ドルの物が買えなかった時代からすれば、同様の準備で3ドルの物が買えるわけだから、輸入に依存するビジネスは大助かりであろう。すなわち外国において観光という商品を購入する「海外旅行」は大助かりというわけだ。

 しかし、反対に外国からわが国に旅行する立場だと、1ドル持ってくれば360円の買物が出来たのが、今や115~125円の買物しかできなくなってしまった。だから、今日のわが国に旅行においでいただく方は、本国ではそれなりに裕福な層に属していると思ってまちがいない。

考えられる第2の理由は環境〈子供を取り巻く環境〉

 次に考えられるのが「子供を取り巻く環境」と有識者は言う。今時、船旅は修学旅行にふさわしくない。よって自然、飛行機を利用することになる。そこでまず度肝を抜かれるのが「週刊誌」と称するポルノ雑誌の氾濫である。創業の目的の第1に社会貢献、第2に雇用確保という伝統的な企業理念を喪失した多くの雑誌社は利潤迫求をその日的の第1に掲げるほど骨の髄までマルクス主義に冒されてしまっている。

 そういう雑誌社の発行する週刊誌が販売部数を伸ばすために意図的・計画的に誌面をポルノ化するのは目に見えている。彼らにとって最重要の課題は『国家百年の大計』に基づく、「国の宝である子供たちの教育」より「今日のゼニ」である。拝金主義者になり下がった彼らは、今日のゼニを手にするためなら何でも犠牲にする。そして、それらのポルノ誌をこれまた24時間年中無休で全国津々浦々に広めているのが「コンビニ」と祢する半ポルノショップである。そして不思議なことに世の経済評論家はこれらの半ポルノショップを成長企業としてもてはやすことに何のためらいも感じていない。

〈男女共同参画社会基本法〉

 学校はといえば「男女共同参画社会基本法」という奇怪(きっかい)なる法律をかくれみのに「教師」と称する労働者が、共産主義社会の到来と成就という見果てぬ夢のために仕事場(教室)で、抵抗力も批判力も持ちえない児童や生徒を相手にポルノ教育、フリーセックス教育を極限まで展開している。「ジェンダーフリー」なる造語を操るその労働者たちの多くは非婚・独身を貫き、自らの老後は国家(=彼ら以外の国民が生み育てた子供たち)が面倒見るべしとうそぶく。また、子供を抱える一部の労働者たちは己自身の子供だけはひそかに「私学」に通わせ、仲間に発覚すれば「躾」を期待し、「非行化」を防ぐためと取りつくろっている。これらの労働者は他人の子供には「作業(洗脳)」を施し、自らの子供には「教育」を施すという二重人格的アンバランスと身勝手さに恥じいる平衡感覚すらなくしてしまっている。これらの事情からしてとても生徒を引率してくることなど考えも及ばないのが偽らざるわが国の実情である。

 私たちがもし、そう感じていないとしたら、この環境に浸りきってすっかり憤れてしまっているだけのことである。(深夜のテレビ番組でまともに見られるものが一体何本あるというのであろうか。)

海外の教師の方が健全で一般的

 以上のような二つの大きな理由から、海外からわが国への修学旅行は逆の場合より極端に少ないことが判った。そういう意味ではわが国に来させない海外の先生の方がわが国の(教育)労働者よりはるかに一般的で健全と思われる。

 修学旅行ひとつとってみても、かくも深く考察することになるとは思いもかけなかった。

 一般的に修学旅行とは、①予算面、②治安面、③教育面で目的地を考えるが、③の問題でわが国への流入が極小であったとは思わぬ発見をした次第である。

 わが国の精神風土を再生・再興していく運動の誕生と拡大が早急に求められている。