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議員の幼児化は私たち有権者の幼児化の反映です

フェイスブック篇

平成26年7月6日

野々村某なる議員がカラ出張を見破られそうになって大泣きした。しかもこれが外電に載って世界中を駆け巡っている。ひょっとしてこの人は人前で泣く泣き声の音量と時間と泣き方が商品として認知され、販売されている韓国か朝鮮に血脈的にも文化的にも大いなる関係を持っている人かもしれない。我が国の文化は人前で泣くな、そして男は泣くな、だ。成りすまし日本人が横行し、その悪弊や悪行を日本人の悪弊や悪行と誤解し受け止めてしまう外国という図式が定着してきた感がある。

一部上場企業であるJTBの若手社員が、予約した修学旅行のバスの手配を忘れていたため、依頼を受けていた学校に「修学旅行を決行したら僕は自殺する」なる脅迫状を拾ったと偽って届け、「こういう生徒がいる限り今日の旅行はやめましょう」と学校側に予定日の変更を懇願した事件からまだ3ヶ月も経っていない。年上の子供が年下の子供を採用し、大人に出来ない大手企業のツケがこういう形で返ってきている。「使労」制度を作れず、使命感や忠誠心のチェックを疎かにし、待遇だけで募集してきた方法論の限界だ。

集団的自衛権の行使容認を閣議決定したと言って、それこそ狂ったように安倍内閣を叩きまくる大手メディアは幼児性の極致を独走している。かつてその地域の死刑廃止論のリーダーだった大阪の某弁護士がよりによって自分の娘さんを通り魔殺人で失った事がある。彼はその瞬間から死刑賛成に宗旨替えをした。大人になれない父親の将来を案じた娘さんが、自らの命と引き換えに親の目を醒まさせた例といえる。他人の身内の死を自分の身内のこととして受け止める人を大人というが、これは我が国以外でも一緒のことだ。

朝日新聞の配達員だった山崎某が配達先の読者の家に泊めてくれといって上がり込み断られ、カッとなって93歳の老女を殺害している。今年の年始3日のことだ。自らの罪状は棚に上げ、一切の原因を他人、とりわけ国家のせいにして省みない新聞社とアジビラの配達員にふさわしい行為といえる。気の毒なのは殺される当日まで日本人的な律儀さで反日新聞を定期購読し続けた顧客の荻原さんだ。49歳になっても大人になれない路上生活者を配達員として雇用していた新聞社の罪は余りにも重い。

クールビズと嘯き家庭(癒し)と職場(戦場)の垣根を破壊しただらしない風俗。食卓ではテレビにとって代わられた家長の席。神棚、仏壇、床の間のない家とその設計思想。国旗が掲げられ国歌が歌われることのない叙勲パーティ。月々の子供のお小遣いを政府が用立てする風潮。祝日制定の目的に国民を奉仕させえない行政。顧客満足度は語られても「国歌国民のため」とは絶対に掲げられない社是の氾濫。発行日を西暦表示する全国紙。約束もしないのに本論から割ってはいる携帯電話等々。

例をあげればキリがないが、我が国の歴史でこれほど国民を作らず、子供を大人にしない仕組みが精緻に構築され、運用された時代が過去にあっただろうか。政府や時代や天候のことを言うもよし、また会社や上司や親のことを言うもよし、しかしもっとも大切なことは自分以外の他者、他人に責任を転嫁しない生き方だと思う。いま、自分の権限とその範囲で出来ることをする、そして百年後の日本人にも説明できる今日を送る、と言うことではないだろうか。

69年前の昭和20年、我が国の若者は東亜の解放(人種平等)と祖国の防衛のため、笑って特攻機に搭乗し敵艦に体当たりしていった。いま、カラ出張の釈明で大泣きを演じている。予約先に嘘の脅迫状を届けている。ご近所の皆さんから夜回りをしてもらい自宅の安全は保障してもらいながらも、家訓を楯に当番を回避している。顧客の家に上がり込み泊めろと凄み、断られたからといって簡単に殺める。こんな人たちが、特攻機の搭乗員の継承者である私たち日本人である筈がない。