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採用と不採用 その3

博多独楽篇

平成13年 秋号「私的経営のこころ 中小企業の生き延びる道(20)」

気品と気迫に乏しい人

 親の躾や家庭の教育がいかに大切かということだ。「嫁をとるなら親を見ろ」ともいう。門地・身分・職業・地位・学歴・収入・本籍・国籍に関係なくしっかりと子育てをした親か否かを確認する必要がある。正面にせよ反面にせよ、子供にとって親の影響ほど大きいものはない。正社員の採用とは「結婚」みたいなものだ。家族よりも長い時間と年数、顔をつき合わせていくのか社員である。しっかりとした躾がなされてない人を採用して、著の上げ下ろしまで指導させられるのはまっぴらごめんである。育ちの悪い人、品のない人、気迫の乏しい人を採用するとどうしても職場全体のグレードダウンを招くし、下手をすると良貨まで駆逐される。国の労働行政に協力するのもいいが、その結果必然的に発生する「負の果実」に対して彼らは決して救いの手を差しのべないということを心しておくことも大切なことである。

父権がないか、ないに等しい家庭に育った人

 女手一つでも立派に子育てができる人もいる。逆にふた親そろっていながらてんでダメな例もある。これは一にも二にも父権があるか否か、あるいはそれを構築していこうとしているか否かによる。父権の確立されていない今日の学校現場を見よ!成立していない授業が全国でゴマンとあるではないか。

 過去の経験からいえることは①自己中心的(わがまま)で、②情緒不安定、そして③絶対に責任を引き受けようとしないのが、かくなる家庭で育った人の性向だ。埋諭的な検証とか系統だった思考がなおざりにされ、周囲の様々なベクトルへの手抜かりない配慮が欠けると、健全な事業活動はまたたく間に齟齬をきたす。どこかの国の外務大臣ではないが「好き」だとか「嫌い」だとかで全てが一刀両断されたのでは周囲はたまったものではない。ゆえに己自身の感情を100%コントロールできることが企業に身を置く者の不可欠の条件だ。この資質なくして「対人業務の遂行」は不可能である。『相手を制さんと欲さば、まず己を制せよ』である。そしてこの自己抑制の徳は「父権不在の環境」からは決して育ちようがない。

端麗な容姿を実力と思っている人

 このタイプもハッキリいって私たちのような奉仕活動には向かない。同僚や上司からチヤホヤされることを期待して入社してもらっては困るのだ。カウンターの内部に、すなわち仲間や同僚の問に「お客様」を抱えたらいけない。私たちは額に汗して一緒に重荷を背負ってくれる人を求めている。つまり、面接時の印象など最低でいいし、「まごころ」と「ひたむきさ」さえ感じ取れればいいのであって、その上に「辛抱強さ」まで加わればいうことないのである。外見的装いとかブランドものとかの所持を実力と勘違いするのも、このタイプに属するであろう。

履歴書記載に不備欠陥のある人

 事柄を甘く(なめて)考える人で、仮にそうでないとしても能力的に問題がある。履歴書とはいわば最低限の情報しか記入しなくていいように工夫されているのにもかかわらず、それさえ満足に記入できないようでは先が思いやられる。企業活動とは弾丸や爆弾こそ飛び交わないが、形をかえた戦争である。決して「ごっこ」ではない。つまり自分という商品を売り込むパンフレットである履歴書さえまともに書けない様では、企業がその人に営業用パンフレットの作成を任せられるわけがない。だから、こういう人は論外として書類選考の段階で排除するようにしている。

当方の問いかけに黙秘権を行使する人

 問いかける自由(権利)に対して回答しない自由(権利)で対抗しているつもりだろうが、卒業生にこの類の教育をする学校の先生も困りものだ。私は自分の子供たちに「面接官に尋ねられたことについては、すべて胸を張って堂々と答えなさい。決して嘘をついてはいけないよ」と教えている。これは当校の卒業生に対しても同じである。

 問いかける側、採用する側の質問基準より、自らの回答基準を優位に置く考え方に与するわけにはいかない。組織内に入れたら、それこそ「職制」が機能しなくなる。中小企業にとどまらず企業活動から指示・伝達や報告という行為を除いたら何も残らない。命令と受令の関係に黙秘権でも介在されたら、企業の組織的紐帯は寸断されてしまうだろう。