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採用と不採用(その4)

ライセンスメイト篇

平成13年9月号「サイレントマジョリティ」

余りにもブランクが長い人

 その間、どうやって食っていたのだろうかと不思議な思いを抱かせる人がいる。いちいち書き込めないほど流浪の人生をおくってきたか、余りにも転職経験が多いかあるいは無為徒食の人生だったかのいずれか一つであろう。そうでなければ、刑務所から出所してきた人かもしれないしピッキングで全国行脚してきた人生かもしれない。暴力団の組員だってことも考えられるしオウムの信者でポアされかかって潜伏していたのかも知れない。とにかくウラが取れない期間が長期に亘っている場合は、本人が非を認めて修正記入・追加記入でもしない限り門前払いで対応している。

前職確認のとれない人

 余り知られたくない過去をもつ人は、己の業務経歴に「倒産企業」を列記し、脚色を施すことがある。これでは前職時代のウラが取れない。当の本人にとってはウラを取らせないことが狙いだろうが、仮に本当に在職していたとしても疫病神であることに変わりはない。人生、通過してきた会社が全て倒産してしまっているというのは悲しいことには違いないが、どうもこの手の人は「不幸の手紙」を思い出させていけない。他の会社に応募し直してもらいたいものだ。およそ、企業の倒産とは経営者と従業員の合作による「負の遺産」である。経営者だけが指弾されることではない。

公務員感覚の人

 元公務員の一人として言えることは、長年の月~金、9時~17時で培われたサボリ癖は一朝一夕でとれるものではない。時間優先主義の風土の中で形成された(後天的)体質を民間の成果第一主義・顧客絶対主義の体質に改造するのは容易なことではない。「過程」評価主義から「結果」絶対主義の世界への飛躍ということを理解しないで、単なる転職と(安易に)考えると大変なことになる。民間と官庁の決定的差異は①「競合」の有無と②財政基盤の違いといっていいだろう。官庁には競合は存在しない。また民間は売上に給与資金の淵源をもつが、公務員給与は租税による予算措置にその淵源をもつ。また民間では「納期厳守」が絶対であるが、官庁は「定時退庁」が絶対である。民間では己の身柄を定刻までに会社に「納品」し、約束した期限までに商品を顧客に「納品」する。そして、その日的達成のためには平気で「定時退社」を犠牲にする。官庁は「定時退庁」を貴くことが「善」で、そのために何10kmも遠方から手続きにやってきた住民の申出を時間外だといって平気で翌日に回す。民間では「納期」が守れなければペナルティが課せられるか、返金になる。事柄の是非はともかく、これが官庁の外の世界の常識であり、この常誰が毎日毎日、それもひとつひとつの取引に個別に要求されるのがまぎれもない民間の風土なのだ。また、中小零細では月~金、9時~17時のごとき活動ではとうてい社会から認知されるものではない。「身の程知らず」というものだろう。民間の立場とは、顧客の都合に合わせる立場であり官庁に合わせる立場である。それに対して官庁とは自らのシステムに民間を合わせさせ、住民を従わせる立場にある。本人にとってはコペルニクス的転換ともいえる別世界へのトラバーユだろうが、そう世の中甘くはない。

倒産企業の経営者だった人

 大抵このタイプは法外な報酬をとってきており、それが倒産の大きな要因だったということを自覚していない人が多い。そして、報酬をとることができなくなったことをもって「事業の始まり」と考えるのではなく、むしろ「全ての終わり」と考えてしまっている。マイナスからはい上がるのが起業であり創業なのだ。だから、むしろ倒産してからが本番と想わないといけない。

 私のように無報酬の期間が通算で10年にも及んでいる経営者には残念ながらまだ会ったことがない。わが社でも私より高い給料を取っている社員のほうが私より低い社員より多いくらいである。公金を預るとはこういうことだ。いったん将軍や船長としての道を歩み始めたなら、そう簡単に兵士や船員の側に戻ってきてほしくないし、戻らないようにしている。企業を倒産させた人は再び起業家・創業家として挑戦すべきだし、二度と他人に使われる道を歩むべきではない。一旦取得した「経営者の国」の国籍は安易に手離すべきではないし、たとえ「従業員の国」の国籍を取得したとしてもなかなかうまくやっていけるものではない。

離婚経験のある女性

 男を男と思っていないタイプが多い。物事を悲観的に見てしまう傾向もその特徴だ。職場を暗くするし結局はアングラ面におけるボス的存在になっていく。「歳(とし)」が全てに優先する女の世界のことだ。他の独身女性や既婚女性に与える悪影響ははかりしれない。手塩にかけた女子職員もこの手の女性にかかったらイチコロである。この手合いは必ず何人か道連れにして辞めていく。そのため、また、新卒から採用して3年も4年もかけ育てていかなければならない。それ故、面談の際に詳しく聞いて相手がそういう経歴の持ち主と判ったら、当社の社風に合わない旨をハッキリいって断るようにしている。当社の社風とは『夫婦相和(ふうふあいわ)し、朋友相(ほうゆうあい)信(しん)じ』の言葉にも代表されるように「教育勅語」を基調に作られている。

水際作戦としての採用・不採用業務

 以上不採用とすべき例を合計15項目ほどに亘って展開してみたが、これはあくまで当社の例であって決して普遍的な意味でいっているのではない。また一口に「採用」といってもその対象が人手と人材とでは採用担当者の構えも大きく変わってくるだろう。採用とか不採用とかはメダルの表裏をいっているにすぎないのであって、多少リアリズムめいた言い方をすると「メダルの表裏業務」の核心とは「人の選別・差別」以外の何ものでもないということだ。数多くの応募者の中から「本物の志願兵」を絞り込み、更に「しなやかで強力な素材」を絞り込んでいく。

 戦後50年はおろか、60年にもなんなんとする「教育勅語不在教育」の真っ只中で丸ごと育った人が国民の9割以上を占めるようになった昨今の世相の中でこの考え方で採用・不採用業務を貫徹していくことは、相当の思想性が要求される。しかし、この競争社会で中小企業が成功して顧客に満足いく商品を提供することができ、かつ、構成員に将来展望を与えることができるとしたら、それは、一にも二にも「勝ち抜く」(あるいは「負けない」)ことが絶対前提だ。そして、その絶対的なる前提を成就・構築できるのが、犬でも猿でもなく人(ひとしかいないとすれば、「採用・不採用業務」を戦略的勝利のための戦術=水際作戦として把えかえしていくことこそが最重要の課題として求められているのではないだろうか。中小企業ほど「一騎当千」の強者(つわもの)を必要としている分野はない。しかし、そのような強者集団は決して「不適格な素材」の上には成立しないのも冷厳な事実だ。それゆえそのような「素材=人材」の採用、企業にそして職務に「忠節を尽くすを本分とする」社員の採用にこそ、中小企業盛衰の鍵があるといえるだろう。