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反日メディアと日教組教育、そして人権派弁護士が作ったモンスター

フェイスブック篇

平成26年8月2日

長崎県立佐世保北高等学校の一年生の徳勝もなみ容疑者が同級生の松尾愛和さんを殺害した事件で加害者の名前を発表しないテレビや新聞があるのは残念で仕方がない。これではまるで社会全体が疑心暗鬼になってしまう。犯人を特定してこそ私たちは身を守れる。わが身を危険な人や組織から防衛しようにも、相手を特定し、繰り返し繰り返しあまねく告知せずには対応の仕様がない。私たちが地下鉄サリン事件を引き起こした団体がオウム真理教で、尖閣諸島をすきあらば奪取しようとしているのが中国だと知っているのは、新聞やテレビの報道の賜物であって、私たちの調査や探求の成果ではない。

地震や台風の情報は分刻みで報道できる能力がありながら、この種の事案に対してはどうしてこんなに無力になってしまうのだろうか。むかし見た映画で「13日の金曜日」や「吸血鬼ドラキュラ」があったが、犯人がわかっていたらそれこそ町中にお触れを出して子供に警戒を呼びかけるのが大人の仕事ではないだろうか。「人を殺してみたかった」などと嘯き、何をやっても無罪放免を確信している子供ほど恐ろしいものはない。フランス革命におけるジャコバン派、ロシア革命後のボリシェビキ、中国文革時の紅衛兵、ポル・ポト政権下のクメール・ルージュ、みんな年嵩の行かない若者が中心だ。

法律事務所を経営している弁護士の父親と地元の教育委員をしていた東大出の母親、また父方の祖父は長崎では有力な地方紙の社主という。しかし一体この家系は神棚に二礼二拍一礼し、仏壇にお供え物をあげるような家庭なのだろうか。春と秋のお彼岸にはご先祖様のお墓参りをするような育て方をしたのだろうか。また祝日には自宅の門に国旗を掲げたりしたのだろうか。製造業は自社製品に欠陥があると判れば「リコール」で回収し、まともなものと交換する。同級生を自宅に誘い込み、脳天を金槌でしたたか打ちのめし、その身体を切り刻むような欠陥人間は即リコールが筋というものだ。

フランス革命に至る過程で百科全書派と呼ばれる若者の一群が跋扈した時代がある。彼らは社会の事象は万事「知」で解明できると信じ、全ての宗教的情操を否定してやまなかった。「いのち」でさえ人工的に再生できるという彼らの傲慢さは、結果「フランケンシュタイン」にまで行き着くこととなる。従来の慣行を無視し、年の月数や時計の時刻をも十進法にしたりしたツケは天下大乱の元となった。我が国、明治の先達はこの知を探求する余り他を省みない危なっかしい姿勢を「科(とが)のある学問」の意で「科学」と命名した。インテリジェンスと知育の限界を突いた恐るべき慧眼といえる。

人権教育という自己愛教育は、「いのちは地球より重い」と繰り返し説かれることにより、「自分の命は地球より重い」という錯覚を生み出す。他者を省みないモンスターの誕生だ。かくして教育勅語の世界とは全く異質の世界が現出する。人は伝統と歴史と文化を背負った共同存在であるという国民はこの世界からは生まれない。全て個人だけの世界が漠として広がっている。かつての我が国には起きようがなかったこの種の猟奇的事件を私たちは軽視してはならない。これは隣近所でいつ起きてもおかしくない時代に突入したという危機感こそが大切だし、決して対岸の火事視しないことが肝要だ。