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親日台湾を決定づけた四つの契機と民主化の潮流

ライセンスメイト篇

平成21年3月号「祝辞 台湾慰霊訪問の旅によせて」

 私共は原台湾人日本兵軍人軍属三万三千余住のご英霊に深甚なる慰霊の誠を捧げるため、平成11年から10年に亙り、台湾訪問を継続して参りましたが、この度、こ英霊のご加護により現地台湾に念願の支部を授けられるまでになりました。

 名もなき市井の一民間同体の事業とはいえ、帯びたる使命は①世界一の親日国・兄弟国の台湾とわが国との親善友好関係を牢固不抜のものとし、②東アジアの平和と安定に寄与する、という国家的見地に立つものであります。それは、この10年間で訪台した団員261名、訪問した慰霊地・交歓先116ヶ所、その結果、現地台湾でご縁の出来た同胞504名という数が如実に物語っております。

 しかるに、台湾を自国領土と嘯いてやまない中共は、その侵略(=併呑)の意図から、日台の精神的一体感を育む魂の交流を忌み嫌い、私たちの訪台活動に露骨な干渉を加えてきております。平成14年の読売新聞における団員募集広告は、駐福岡中共総領事館の圧力により掲載中止に追い込まれましたが、以来、産經新聞を除く全国紙(「西日本新開」を含む)ではこの訪問の団員募集ができない状況が続いています。それは私たちの活動の拡大と深化を恐れる中共当局とその顔色を窺う大手マスコミの不甲斐なさのなせる業ではないでしょうか。

 インターネットの興隆と対照的に新聞の地盤沈下か叫ばれて久しい今日、その理由は意外とこのような反日的な紙面組み体質 (=いまだに米軍占領時のプレスコードを墨守する主権回復なき体質)に起因するものと思われます。

 さて、ここで十星霜を経た慰霊訪問の過程で学んできたことを述べさせていただきますと、台湾人の深層心理には①日清戦争の戦後処理である明治28年(1895)の下関講和条約によって大陸(清国)の呪縛から「永久に」解放されたという世界史的感動と②その後の50年に及ぶ日本統治時代の古き良き思い出がセピア色に焼き付いています。加えて③わが国の敗戦で終結したとはいえ英米蘭による鉄鎖の軛からのアジア解放と大東亜共栄のために日本兵軍人軍属として志願し、散華されたご英霊に淵源を有する同志的紐帯と④わが国が行政権を放棄させられた昭和20年(1945)以降、大陸から一方的に乗り込んできた蒋介石一統の圧政によってできた外省人嫌いが、抜き難く刻印されています。

 そして、他ならぬこれらの契機こそが、平成2年(1990)から開始された民主化の流れと相俟って、広範な親日層が岩盤のように形成された要因であります。蒋介石一統の國民党政権下で完全に圧殺されたかに見えた日台の絆が、さながら堤防か決壊したかのように奔流として顕在化したのです。李登輝から陳水扁に至る政治的潮流がこのことを正直に物語っています。

 それは政権与党が民進党から國民党に変わったとて、はたまたジャッキー・チェンをして「台湾人や香港人の自由は管理(=制限・弾圧)される必要がある」と語らせしめても、何人もそして1ミリもこの流れを後退させることはできません。それが歴史の必然というものです。そして台湾の民心と民情がかくなるものである限り、いかに中共が軍事面で優位に立とうと台湾人の心の主人公には未来永劫なり得ない訳であります。

 そして、かくなる情勢分析に立つ限り、中共はあらゆる手練手管を使って親日台湾の撲滅に取り掛かってくるに違いありません。わが国の大手メディアを使嗾してでも、台湾人の心の故郷とでもいえる四つの契機の全否定を試みてくるはずです。このような文脈の中でNHKの4月5日放映の「アジアの“一等国”」が演出されたのです。

 私たち日華(台)親善友好慰霊訪問団は、心ある台湾の皆様との平成11年以来の家族交流・兄弟交流の重みに賭けて、歴史に逆行し、親日台湾を転覆せんとするこのような企てを的確に突き崩していきたいと思います。日台の生命の絆を具現化していく上で、序曲でありプロローグでありました今までの10年が、本当の意味で開花していくか否かは偏に私たち日本人の側の覚醒と自覚によります。

 開始11年目に当り、そして今後10年を展望するに当り、尚一層のご支援ご鞭撻をよろしくお願いいたします。