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連合国はわが国を7等分したが日台の国民だけは分断できなかった

フェイスブック篇

平成26年10月8日

第二次大戦後に生まれた分断国家といえば南北に分けられた朝鮮やベトナムを思い浮かべる人が多いと思います。しかしこれは正しくありません。なぜなら朝鮮は日本だったし、そもそも国家ではありませんでした。ベトナムも仏領インドシナといって同様でした。ではどこが分断国家だったのでしょうか。それは東西に分けられたドイツです。しかし同時期に生まれた世界最大の分断国家は実はわが国・日本(?)だったのです。枢軸国として連合国に最後まで抵抗した両国に対する国際的見せしめが国家分断というギロチンでした。

明治8年にロシアから譲り受けた大日本帝國千鳥列島(?)、明治28年に清国から割譲を受けた大日本帝國台湾地方(?)、 明治38年にわが国に編入された大日本帝國南樺太地方(?)、明治43年にわが国に併合された大日本帝國朝鮮地方(?)、 大正9年にわが国の信託統治領となった大日本帝國南洋群島(?)。 これらはそれぞれの時代において、当時の国際社会が挙って認めた紛れもないわが国の領土(=国土)だったのです。

しかし、米国を中心とする連合国は、勝者による敗者への分割統治を強行し、わが国を北海道、本州、四国、九州の4島に押し込め、領土的生体解剖を推し進めました。その結果、?と?はソ連(現「ロシア」)、?は中華民國、?は南北朝鮮、?はパラオやトンガ等の新興国に帰属させられました。その上、昭和20年8月18日未明から開始されたソ連による火事場泥棒的侵略により、?の占守島から択捉島に至る千鳥18列島は言わずもがな北海道に帰属する北方4島が現在に至るまで不法占拠されたままです。

また漢族居住地最北端の象徴であった万里の長城の外側(北)に位置する満州はその名の通り満人(女真族)の聖地とうたわれましたが、明治33年に勃発した北清事変の戦後処理過程でなんとロシアが居座ったのです。今のウクライナと同じ様なものです。しかし当時の日本はそのロシアを駆逐して満州を解放するとともに朝鮮のロシア化を阻止しました。歴史的にはそれが淵源となって昭和7年に満族念願の主権国家、満州國(?)が建国されました。しかし、その喜びも束の間、大東亜戦争敗戦後、これもまた匪賊(現「中共」)に奪われたままになっています。今日のチベットやウイグルで行われている民族浄化や飽くことなき収奪は69年前の満州國で実際行われたことのむし返しにすぎないのです。

敗戦とはいえ、国体の継承性でいえば世界最古の歴史を誇る近代国家がこれほどズタズタにされた例はありません。アメリカ合衆国が中西部とアラスカ、ハワイ等を失い、東部13州に戻される以上のものです。あるいは大英帝国がブリテン島南部のイングランド地方に回帰してしまうようなものです。

しかし「終戦の詔書」で奮いたった復員軍人(=皇軍兵士)を中心として当時の日本人は焦土と化したわが国をまたたく間に復旧・復興し、終戦後わずか19年で「東京オリンピック」を開催しました。当時のわが国は近隣では唯一、中華民國(台湾)とだけ国交を結んでいましたが、実はこれが幸いしたのです。

ご承知のように特亜と友好の誼みを結んだ昭和40年以降は今日に至るまで強請られ、集られ、侮られっぱなしの49年間です。

しかし、こういう中にあっても、わが国と台湾だけは戦前の同じ国民だった時代のような関係を保っています。連合国による分割統治・分断支配が如何に苛烈極まりないものだったとはいえ、地下水脈で結ばれた日台の生命の絆だけは断ち切ることができなかったのです。

日本の敗戦を自分のことのように悔しがる台湾、敗戦国であっても日本人として留まりたかったと言ってくれる台湾、日本には何も悪い事はない、強いて言えば負けた事が悪い、と正しく評価してくれる台湾、最近では太陽花学生運動で中共による「以経促統」に「否」を突き付けた台湾、わが国と違い国民に「言語空間」が保証された自由と民主の国・台湾、その台湾に今年も行ってまいります。そして今日の台湾の礎を築いてくれた原台湾人元日本兵軍人軍属3万3千余柱に慰霊の誠を捧げてまいります。

日本人はもとより、台湾人の皆様のご理解とご協力をお願いする次第です。