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憲法改正と経営者

フェイスブック篇

平成26年10月27日

10月25日、ヒルトンシーホークで日本会議主催の九州ブロック大会が開かれた。役員として参加したが、正直いってこれは大変な戦いになる、という印象を持った。

第一の理由は私たち自身の語彙不足とそれによる思想的、情緒的空間の狭隘さだ。「歴史の縦軸を教えてこなかったツケがここにきて大変な問題になってきた」とはある国会議員の発言だが、別の国会議員は「自衛隊に入ったがその出自も目的も教えられず訓練に明け暮れた」と発言された。幕末明治の国づくり職人達はこれらの疑問に対して「軍人勅諭」という見事な解答を対置した。

第二の理由は改正というが、占領憲法という鳥かごで人生丸ごと育てられてしまった世代である私たちにとっては、それを内部から食い破る戦いに決起することになるわけだが、政治家の先生方から模範例の提示があれば今後の道筋がより明確になったであろうと惜しまれる。幕末明治の国づくり職人達はこれらの疑問に対して「大日本帝國憲法」という骨太の解答を創造した。

第三の理由はこの大会に参加した経営者で従業員を引き連れてきた人が殆どいなかったことが挙げられる。妻を同伴させることの出来ない夫、子供を連れてこれない親、生徒を引率できない教師も同じようなものだが、これでどうして街頭で道往く人に呼びかけることが出来るのだろうか。最も身近なところにいて最強の味方にすべき人たちと日本人としての、国民としての絆を結べずして勝利と成功はおぼつかない。とりわけ経営者は何十年という単位で人を預かる立場だ。新卒で採用し定年まで預かりながら日本人にも国民にも出来なかったでは日教組よりはるかに罪深い。これでは経営者は日本会議、従業員はメーデーという珍現象が生まれてしまう。幕末明治の国づくり職人達は前二者に加えて「教育勅語」という究極の解答を補填した。

軍人勅諭、大日本帝國憲法、教育勅語、これは国家建設のための「三種の神器」ともいえるもので、幕末明治の国づくり職人達が激動する世界情勢と内憂外患の渦巻く中で、まさに血の滲む努力と苦闘で戦いとった不朽の高みといえる。占領憲法という名の下に締結させられた「昭和の不平等条約」を根底から覆すために、締結以前のわが国の共同体の文化に今一度立ち返り、戦後を俯瞰する「原日本人の視座」を命懸けで獲得することが問われている。