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商船三井が罪を認め40億円支払う。大型船舶戻るも他社への波及必至。大東亜戦争は決して終わっていない。

フェイスブック篇

平成26年4月25日

上場企業の経営者や幹部は優秀な企業人かもしれないが国民でないことがまたしてもハッキリした。戦後教育の個人主義がここでも開花した。すなわち「他社(他人)はどうあれ自社(自分)さえ助かればいい」という個人主義者を沢山育ててしまったツケが今回も白日の下に曝け出された。

思想戦、情報戦、そして歴史戦に負けている。しかも最大、最強の敵は国内に巣食っている。私たちは支那市場を見限ったグーグルに学ばなければならない。彼らは、人や企業は共同存在であることを知っていた。しかしもっと身近なところにお師匠さんはいる。「いわゆる東京裁判」で検事、裁判官の司法取引(助命哀願の甘い囁き)には一顧だにせず、絞首台への道を悠然と選択した東條さんたちだ。彼ら先達が御身可愛さで「いわゆる南京大虐殺」を認めていたら、本人は助かったかもしれない。しかしその時は我が国は間違いなくドイツと同じ運命を辿っていた。千年単位で人でなしの烙印を押される運命が。

子供を教育する学校と大人を誘導するメディアが連結することで人生丸ごと気づかせない近代史でも稀に見る真実遮蔽トータルシステムが大手を振って闊歩している。天動説の過ちに気付かせないソーラーパネルの一角に風穴を開け、地動説に太陽光を当てる試みが今ほど必要とされる時はない。「武士は食わねど高楊枝」や「楼の上も埴生の小屋も住む人の心にこそは貴き卑しき」こそを我が国の国民教育の基本に据えるべきだろう。斯様な徳目以外に一体何を目指させるというのだろうか。国民総商人(あきんど)は滅亡したカルタゴへの道である。

戦後69年続けてきた「国民教育」の不在を取り戻すのは口で言うほど簡単ではない。それは豊かさを幸福の至上命題とする価値観との戦いだからだ。しかしこの道以外に国家国民国史の尊厳を取り戻す道はないと思う。優秀でなくてもいい、立派な国民を育てよう。客人でない当事者を育成していこう。そのためには少なからぬ既得権益を失うかもしれない。しかし民族千年の大計にとってそれが一体何だというのだろうか。失わない限り後に続く人が出来ないではないか。いまこそ東條さんたちに学んでいこう。

商船三井は今回支払った40億円が中共の意図である4000億円の頭金に過ぎないことを知らない。逆に商船三井は1隻のタンカーをくれてやることで4000億円を支払わずに済んだし、業界千隻のタンカーを守ることも出来たのに残念でならない。そしてまたしても日本人は脅しに屈するという実例を提供してしまった。支那が東條さんたちのお手本を蛇蝎の様に嫌う本当の意味は日本人が脅しに屈しない民族になるからだということを私たちは四六時中拡散していかなければならないと思う。