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自然の猛威に対して犯人を作る愚 「2つの9月26日」

フェイスブック篇

平成25年9月18日

一体、我が国の歴史で地震や台風、火山や竜巻、津波や集中豪雨等の天災地変で執拗に犯人を作り出し、自らが蒙った被害の賠償先を競って捜し出すようにマスコミが煽った時代があっただろうか。

いまから59年前の昭和29年9月26日、青函連絡船「洞爺丸」が折からの台風15号の影響で転覆沈没し、死者・行方不明者あわせて1155人の犠牲者を出している。しかしこの痛ましい海難事故で賠償金を求めるための裁判が開かれたとは寡聞にして知らない。それから僅か5年後の昭和34年9月26日には未曾有の台風が中部地方を襲っている。伊勢湾台風と名付けられたこの台風による被害は、死者4759人、行方不明者282人、家屋全半壊11万9187戸にのぼった。しかしこの時も賠償金を求めるための裁判が開かれたという話は聞かない。

今月9月26日に起こった2つの代表的事例だけで全部を総括するつもりはないが、天災地変に対して私たち日本人が伝統的に培ってきた行動規範は「助け合い」であって、「訴え合い」ではなかったはずだ。

しかし、もしもこんな風潮が野放しにされ、言い得、訴え得に感情移入させるような報道が続けば、一体どんな世の中になるかは火を見るよりも明らかではないだろうか。地震や台風、火山や竜巻、津波や集中豪雨等を被告席に座らせることが出来ない限り、やり場のない気持ちは人にぶつけざるを得ないに決まっている。そして知恵をつけるような人にでも巡り合うものならいくらでも犯人と被告は作られる。

理由は簡単だ。瑕疵のないインフラなど皆無だし、受注した業者だって神様とは程遠い人間だけで構成されているからだ。だからこそ公的機関による認証や認可制度で補完されている。しかしこれだって当てにならない。TPPでどんな交渉がなされているかわからないが、名うての訴訟国家アメリカの弁護士にとってみたら、我が国のような災害列島ほどおいしいマーケットはないような気がするのは私の考えすぎだろうか。