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麻生氏のナチス発言のどこが問題なのだろうか

フェイスブック篇

平成25年8月3日

戦後の昭和20年9月に日本に進駐した連合軍総司令部(GHQ)が共産主義を熱烈に信奉するニューディーラーたちの巣窟だった事はすでに歴史的事実として確定している。1917年のユダヤ革命たるロシア革命はその余りの異常性ゆえに国際社会はとても認知できなかった。それに比べてドイツは民主的な選挙を重ねる事によりナチスを政権の座に押し上げた。レーニンや毛沢東の暴力革命との違いは歴然としている。ドイツにおけるユダヤ革命の申し子とも言えるワイマール共和国で100%合法的に選出された政府が後のドイツ第三帝國である。

我が国の占領憲法草案を短期間で作ったGHQの若きニューディーラーたちユダヤ人がモチーフとしたのも彼らの先輩たちが作ったワイマール憲法にほかならない。しかしワイマール憲法下で組閣された、ドイツに忠誠心を抱こうとしないユダヤ人内閣はいずれも混迷を深め国内の混乱は収拾がつかなくなった。ドイツ国民が階級史観を見限った瞬間といえる。ワイマール憲法下という手かせ足かせの中で選挙で選ばれ政権を獲得したナチスは、今度はユダヤの権益を根こそぎ破壊しドイツ人のドイツを作ろうとした。ワイマール共和国の崩壊は、ドイツ人自身が「これは私たちの国家ではない」と気づいたからにほかならない。(1989年、「ドイツ国民のためのものでない」ベルリンの壁をドイツ人が破壊したのと酷似している。)

自らの出自もユダヤであるフランクリン・ルーズヴェルトは国内のユダヤ勢力のロビー活動にも励まされて、ナチスの政権樹立には、レーニン始め政権中枢が全てユダヤ人で固められた共産主義による一党独裁国家ソヴィエト・ロシアの承認(1933年)で応えている。かれの出自がそうさせたのだろう。麻生氏は憲法改正の手法をかつての同盟国ドイツに学ぼうと言っただけなのに。