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ごあいさつ

九栄会は「まごころ共同体」です。

松尾 嘉三

九州不動産専門学院グループ同窓会・九栄会
会長 松尾 嘉三

師走の慌しい中にもかかわりませず、九州不動産専門学院とそのグループ校の「卒業式・祝賀会・謝恩会」にご出席賜わりまして誠にありがとうございます。

皆様は、不動産・法律分野や建設関連国家資格の取得を目指して学院グループの各校で学ばれ、専門知識・技能の習得(修得)と自らの資質や能力の向上に努めてこられました。このたび、それぞれの目標を見事に達成されましたことは、皆様の不断の努力の賜であり、心から敬意を表します。

昭和60年12月に初めて実行された「合格者祝賀会」は、学院で学ばれ合格された皆様をただお祝いしてあげたいという素朴な気持から開始された行事でありました。「継続は最大の力なり」をモットーにひたすら合格された皆様の門出をお祝いしてきたこの催しも、関係各位のお陰をもちまして34年の歳月を刻むことができ、やっと「歴史」の仲間入りができました。

そこで、同窓会発足30年の平成27年より従来の「立食形式」を「着席方式」に改め、グループ校の合格者・卒業生はもとより講師の先生や各界・各団体等多方面の皆様と十分にくつろぎながら交流できる場にさせていただきました。

九栄会の年間行事・活動等は巻末に掲載しておりますので詳細は省きますが、学院グループの卒業生を堂々と社会に送り出すにふさわしい内容のものにしていく不断の努力の積み重ねでもありました。

九栄会の代表的な特徴のひとつに会員の皆様の多彩な顔ぶれがあります。生徒さんの通学(通信教育含む)範囲や立場や業種のバリエーションやその意識の高さ、強さがストレートに会員構成に反映されております。その結果、自ずと催される行事や活動も志が高く多様性溢れるものにならざるを得ません。九栄会が熱気に満ち、躍動的なのは以上の理由によるものと思われます。しかも近年は九栄会が催す行事が会員の皆様の関心事項にお応えするだけでなく、内在する豊かな公益性ゆえ、会員以外の同窓生や関係者の皆様も進んでご参加して下さるようになって参りました。

母校への報恩の情から発した極めて私的な団体であったにもかかわらず、今日では学院グループとご縁のできた皆様がわけ隔たりなくご入会できる共同体に育ってまいりました。「誠実・堅実・確実」な学院グループの経営に基盤を置く、「まごころ共同体」に早速ご加入され、ご自身の研鑽やお仕事に役立つ情報交換の場、あるいは異業種の方々との交流の場としてご活用下さいますようお願いし、晴れの日の祝辞にかえさせていただきます。

本日は、誠におめでとうございます。

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国民を育てることを放棄した学校に未来はない

小菅 亥三郎

九州不動産専門学院グループ同窓会・九栄会
名誉顧問 小菅 亥三郎

本日ご臨席賜わりました皆様に一言ご挨拶を申し上げます。

平成30年度の合格者・修了者・卒業生の皆様、所期の目的を達成されたこと、誠に喜ばしく、周囲に与える影響力は清々しさに満ち溢れるものがあると存じます。皆様のご努力に敬意を表しますとともに勝ち得た成果を国家国民(公=おおやけ)のために存分に活用されんことを祈念いたします。

そして、私たちの学校を陰に陽に支えて下さり、業務推進にご協力下さっている皆様におかれましては日頃のご愛顧に心より感謝申し上げます。また、九栄会をはじめ様々な集いに参加され、私たちと志を共有して下さっている皆様におかれましては、本日この場で公に奉仕する思いの輪を更に広げていただきたいと思います。

さて、せっかくの機会ですので、宮崎県のある私立学校の話を紹介させていただきます。この高校は、よく甲子園に出場することで知られていますが、今ここである異変が起きています。それは新規入学者の殆んどが中国人であるということです。日本人は1割にも達しません。学校内の「公用語」は中国語です。そして朝礼では何と中国の国歌が全校生徒で歌われる始末です。日本の国歌は無視されたままです。

中国人は幼い頃から反日、侮日、憎日、仇日教育で鍛われていますので必然的に弱小勢力である日本人生徒への暴行は多発します。それは「いじめ」の域を通り越し、辛酸を極めたものになっていますが、日本人生徒や保護者による再三の申し入れにも拘わらず学校当局は馬耳東風を決め込んでいます。

ご承知のように中国人は例外なく国防動員法という戦時法の統制下にありますが、これはひと言でいえば、終身の主席(=「皇帝」に相当)である習近平の号令ひとつで武装蜂起しなくてはいけない法律です。世界のどの国に居住し、旅行していようとです。違反したり命令に背くようであれば、本人は言わずもがな国内に残された家族親族や縁者は悉く極刑に処せられます。記憶に新しいところでは、平成24年に中国で企てられた反日暴動で、現地に進出していた邦人企業の多くは、雇用している従業員によって放火され、破壊されました。平時の立ち居振る舞いが一瞬にして暴徒と化すのは支那事変の昔と変わりません。

それは丁度、中国人留学生を長年自宅に住まわせ、お世話してきた多くの日本人が彼らに襲われ、殺されてきた事例と表裏一体のものといえるでしょう。

話を再び宮崎の学校に戻しますが、彼らは何故斯様な運営に舵を切ったのでしょうか。それは少子化による日本人生徒の減少です。経営が立ちゆかなくなったのです。そこで「中国人を育てます」と宣誓し、独裁国家のおぼえめでたく生徒獲得に成功したのだと思います。

実は私も過去、県当局から中国人留学生を斡旋された経験があります。平成10年のことですが、カリキュラムにある神社参拝や国体教育に異常に反発された経緯が思い出されます。就学ブローカーの戴(ダイ)氏曰く「こんなカリキュラムでは中国人が育たない。日本人になってしまう」。勿論入学はお断りしましたので、今日まで経営は存続していますが、宮崎の学校は真逆のケースと思います。「三跪九拝の礼を尽くす」という言葉がありますが、「皇帝」に平伏さんばかりに哀願したのでしょうか。

ここで就学ブローカーが提示した中国人留学生を受け入れるための条件を辿ってみたいと思います。先ず「中華人民共和国はプロレタリア独裁の国だから、それに奉仕する有為な人材を育成しろ」ということで、「共産主義者」に仕立て上げてくれ、というのが第1の条件です。次は「台湾は中華人民共和国の不可分の領土であることを認めろ」ということで、台湾に旅行するのも北京の顔色を伺え、というのが第2の条件です。最後は「現在国際的に進行しているふたつの中国策動に加担するな」ということで、中華民国は認めるな、というのが第3の条件です。

中国人留学生を受け入れている学校は東京大学から地方の高等学校にいたるまで全てこの条件を認めてもらっているというから驚くほかありません。かえすがえすも私は、今を遡ること20年前の平成10年にこの屈辱的な条件を峻拒して本当に間違いなかったと思います。

さて、現在のわが国の状況ですが、戦後73年間も結婚など眼中にない生活を謳歌し、たとえ結婚しても民族の後継者を生み育てることを忌避した結果、眼前には荒漠たる未来図しか描けなくなってしまいました。

類的存在としてしか生存できない人間に、徹底して「個人」を叩き込み、「命は地球より重い」なるイデオロギーを背景に、「人権」を至高の価値として洗脳した戦後教育のツケが強力なムチの反(かえ)りとして襲いかかってきたのです。どこの国であれ、その国の教育は、その国の国民を育てるのが昔からの世界の常識です。目先のお金に目が眩んで敵国の兵士[の卵]を自発的・能動的に育成した国家など過去、世界の歴史にあったでしょうか。

一部教育の世界で行なわれている倒錯した行為は、国土に関わる世界でも同時並行で進んでいます。靖國神社境内の遊就館に「ますらおの かなしきいのち つみかさね つみかさねまもる やまとしまねを」という歌が掲げられていますが、どこの国でも自国史を彩る戦さは全て国土を、あるいは国境を巡る戦いといっても過言ではありません。

明治天皇が明治22年2月11日に大日本帝國憲法の告文(おつげぶみ)で「舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ」と皇祖皇宗に報告されたのもしかりです。しかし、その国土が今「ビジネスの装い」で中国資本に叩き売られているのです。連立政権内部に巣食う売国奴集団の手によって、大和民族の累々たる屍で築かれた日本列島が北方4島のみならず丸ごと売られようとしています。

教育の世界と同根の問題と思います。「市民」は育てるが「国民」を生み出さない教育、「市場」は理解させるが「国土」を埒外に置いた授業、「消費者」は意識させるが「民族」を自覚させない報道等々、問題は山積しています。国と歴史と文化の要(かなめ)である後継者教育を敵方に奪われた結果の惨憺たる状況が現在ではないでしょうか。

私は、平成24年10月21日に学校の入り口に貼り出された「尖閣を守れ!」のポスターの上部にこのような侵略行為をする「中国人お断り」の貼り紙を掲げました。B5サイズの小さなものですが、何回も破られながらも、以来6年が経過しました。その月日はチャイナマネーや移民に依存しない学校経営を模索し、そのビジネスモデルを構築する戦いの連続でした。国の行く末を案じる使命感だけを羅針盤にしてきた歳月でした。

今、私たちの学校は1人の中国人留学生も抱えることなく健全に運営されています。これからもこの姿勢を堅持し、国家国民のための学校づくりに邁進していく所存です。倍旧のご支援、ご協力を衷心よりお願いする次第です。

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