合格者の声 昭和63年度(昭和63年4月~平成元年3月):全52件
今後は1級建築士や宅建試験に挑戦!1建施(1級建築施工管理技士・学科実地)
男(36)福岡県福岡市博多区現在、私は建設会社で工事現場の監督をやっていますが、最近、つくづくこの資格を取得してよかったと実感しています。私がこの1級建築施工管理技士を取得しようと思ったのは、63年の6月から官公庁の建設工事の折、現場の管理者、つまり主任技術者は必ず1級建築士か1級建築施工管理技士の資格を取得しておかないと、工事を請負えなくなるとのことからでした。それと、会社内でこの資格があると待遇が違うこともありました。
建設業には、もう10年以上かかわっていて5年位前に1級建築士の学科試験に合格しましたが、製図でやられました。というのも、私の場合はほとんどが現場の仕事で、製図の図面をひくことがほとんどなく、当然と言えば当然でした。そこで現場にいる皆さんにアドバイスしたいのは、1級建築士では構造と法規を充分にやっておく事とともに、図面に充分なじんでおく事です。計画や施工は比較的容易に取れます。それから、この1級建築施工管理技士の場合は、忙しくても学校で講義を受けられることをおすすめします。特に実地試験の場合は大切です。というのも、出題のポイントがそれによってつかめ、ムダな勉強が省けるからです。私もこれで幸いにして一回目で合格しました。
毎日の勉強については、毎日問題を一問は必ず解くというクセをつけ、とにかく絶え間なく何かの知識を覚えようとしてきました。スランプの時や、おちこんだ時もありましたが、こういう時は新しい知識を覚えるより、自分の得意な施工の問題をやるように心がけ、それでまた自信がついてきました。合格までは、なかなか学習時間がなかったのですが、何とか毎日最低1時間は自分で時間をつくってやってきました。
今後は1級建築士への再挑戦を考えています。さらにこれからの建築屋は不動産の知識が不可欠と考えていますので、宅建の試験の受験も検討しているところです。
武内一文さん(タケウチカズフミ)
〔九州建設専門学院No.2048380〕
ライセンスメイト 昭和63年9月号…No.12ちょっときつかったけど“勉強してよかった”宅建(宅地建物取引主任者)
女(41)福岡県北九州市八幡西区中学時代の親友夫婦が営んでいる不動産業の事務所を、3年間手伝った後、実務を1年程経験して軽い気持ちで宅建資格試験を受けました。結果は不合格。ショックでした。実は私、内心、不動産の試験を見くびっていたのです。
その後、貴学院の存在を知り、即入学を決意しました。新聞に試験の正解が載った後、お世話になった講師の先生に、「いくら数えても正解が30個しかない」と嘆くと、「どういう配分で出題されているか、どの部門の正解率が低かったかを充分認識した上で、次の試験に取り組むことが大切です」と専門的な答が返ってきました。その時ばかりは「よーしやるぞ」と思ったものでした。
しかし人間的な弱さのせいか、家事、仕事を口実に、年が明けてから・・・3月に入ってから・・・と思ううちにどんどん日にちが経っていきました。あせる気持ちがつのり、本格的にやらなければ、と思ったのが7月になってからでした。
わりと好きな業法は省き、法令、権利と出題数の多いところを過去5年間に遡り、片っぱしから問題を解きました。先生方の口ぐせ、“一つでも多く問題を解くこと”を着実に実践した結果、9月の中旬頃になると、「あれ? これ以前解いたことがある」と思えるようになり、そして、二度目のチャレンジ。合格でした。嬉しかったですねえ。
これからは、たくさんの人に、いろんな形で迷惑をかけた分、いっそう頑張らなければ、と思ったものです。本当に、学院の先生方には感謝しています。単なる資格をとるだけの講習会はたくさんありますが、貴学院に通ううちに、私自身の物の見方、価値観、対処の仕方も変わってきました。合格後は、アットホームな交流の場である九栄会にも入会させていただきましたが、仕事場が北九州なもので、なかなか出席する機会がなくて残念です。
これからも、目先の実務のためばかりでなく、生涯教育としても、先生方からたくさんのことを吸収していきたいと思っています。講習会で会得したことを基に、毎日新しいことにチャレンジし、一期一会を大切にして仕事に取り組んでいます。一度お世話した方のお顔は決して忘れません。お世話した新婚さんに子供ができ、家が手狭になったので今度はマイホームを、といった具合いに、末長くお付き合いをし、夢を現実のものにするお手伝いをさせていただいています。
今、私はたくさんの人に支えられて、とても楽しい充実した日々を過しています。ここまでくるのは、ちょっときつかったけど、“勉強してよかった”と心の底から思っています。ありがとうございました。
遠藤康子さん(エンドウヤスコ)
〔九州不動産専門学院No.2032430〕
ライセンスメイト 昭和63年9月号…No.11地域の発展に貢献したい下水2(第2種下水道技術検定)
男(48)福岡県糟屋郡宇美町私は現在、糟屋郡の宇美町でダムの基礎工事のためのボーリング会社をやっています。以前はスーパーの店長をしていましたが、2級土木施工管理技士の資格を持っていましたので、20年前に脱サラをし、現在の会社を設立しました。さて私が貴学院で下水道の資格を取得しようと思った動機は、糟屋郡の自治体が多々良川水系で下水道工事をする計画があるという公示を知り、将来、下水道業の分野にも進出しようと考えたからです。
受講を思いたった時は、すでに講義が何回か終了していましたが、事務局の方に特別にお願いして、それまでの講義のテープをいただき、それを自宅で聴きながら学習していきました。受講生の中で私が最も高齢であり、授業についていけるかどうか心配していましたが、講師の先生方の重要ポイントを押さえた解りやすい講義で回を重ねるにつれ、自信が湧いてきました。
また、遠く熊本や長崎から参加している人達の頑張っている姿を見て、こちらも大いに励まされたものです。途中からの受講でしたが、それ以降の授業にはすべて出席しました。そして幸運にも一回で合格することができました。
現在、当社は九州全域と山口、広島あたりまで、現場をかかえてボーリングをやっていますが、ほとんどが役所の仕事。従って安定しているのですが、これに安住することなく、更に一般土木業や下水道業にも取り組み、地域の発展のために今後とも貢献したいと考えています。
事務局の皆さん、これまで本当にお世話になりました。今後ともよろしくお願い致します。
後藤一磨さん(ゴトウカズマ)
〔九州建設専門学院No.2047170〕
ライセンスメイト 昭和63年8月号…No.10仕事が楽しい毎日です宅建(宅地建物取引主任者)
女(49)福岡県福岡市中央区私は主人と共に不動産業を営んでおりますが私の仕事は主に賃貸借や、アパート管理。業務内容が複雑で多忙な毎日を過しております。そんな毎日も今年で10年を迎えましたので、この機会に宅建の試験に挑戦してみようと思い、九州不動産専門学院に申し込みをしました。授業には欠かさず出席しました。講義の内容と通常の実務とは違う点もあり、時々とまどいを感じましたが、先生方の温かさとユーモアにあふれた講義を聞くことが楽しく、勉強に熱中することができました。
私の場合、仕事と主婦業を両立させた上で勉強しなければならないので、時間があまりなく、効率の良い勉強方法を、いろいろ考えました。覚えたい数字などカードに書いたり、テキストの主な箇所をコピーして部屋に貼っておいたりして覚えていくという方々もとってみました。10月に入ってからは、模擬試験や練習問題に励み、力をつけることができました。
熟年の私が合格できましたのも、よく研究し解りやすくまとめられたオリジナルテキストのおかげであり、主人の協力と講師の先生方の熱心なご指導のおかげと感謝致しております。現在は取引主任者証もいただいて、毎日楽しく仕事に励んでおります。月一回の九栄会の研修会も楽しみで、できるだけ出席して、面白い話や、ためになるお話をうかがっております。不動産部会にも出席して、部員の方と知り合いになり、いつの日か話が発展し契約できたらと、あれこれ肴望に胸をふくらませております。
谷川隆子さん(タニガワタカコ)
〔九州不動産専門学院No.2027810〕
ライセンスメイト 昭和63年8月号…No.9社業を通じて資格を活かしたい宅建(宅地建物取引主任者)
男(56)福岡県福岡市早良区「君には不動産開発部の仕事をお願いする。営業時間中に学校へ行ってもよい。費用も会社から出す」。定年後の第2の職場として就職した商事会社の社長がかく申されたのであります。時は昨年の2月2日。今までの銀行経験を活かし、多少のんびりと関連会社勤めをと考えていた私の尻に、突然火がつけられたのです。
「タッケン、タッケン、フドーサン」とつぶやきながら、職業別電話帳をめくり、何件か電話をかけました。一番応対がよかったのが九州不動産専門学院でした。早速受講手続きを済ませ、2月8日から笹田先生の「権利関係」、4月1日以降木村先生の水曜午後コースへと進みました。久方ぶりに机に向い、先生の講義を聞き、堅い活字に触れ、最初のうちは青年時代に戻ったような気分で、体の隅々まで力が漲ってくる思いでした。
しかし、やがて55歳という年齢を思い知らされることになりました。記憶力減退という名の老化現象です。1ヶ月前に勉強したことが頭の中に全く残っていないのです。それどころか、たった今聞いたことが頭に残っていないのです。テスト26点!、この頃は先生に随分心配をかけたことと思います。
“このままでは皆についてゆけなくなる、何とかせねば”と思いました。そこで、講義の後のノート整理は、ポケットに入る位の小型ノートにしました。満員バスや地下鉄のなかでも一寸ひろげられるようにです。学院のテキストは声を出して読み、テープに録音しました。歩きながら復習できるようにです。また、眠いときは、ベッドに持ち込んで睡眠学習、しかしこれはよく眠りました。目で見る、書く、声を出す、耳で聞く、をくり返しやってみました。気分的にもリラックスするように、テストの点数は、合格点8割確保を目標にしました。つまり、50問中10問は捨てようと決めたのです。仮りに勘違いや思い違いが一つ二つ出ても合格ラインはキープできるからです。9月16日から実施された学院の実戦模試は、総仕上げの大きな力になり、8割確保への自信を深めてくれました。
今、私の机の上に宅地建物取引主任者証があります。そうです。私はついに、一つの資格保持者になったのです。この喜びはとりもなおさず、要領よくまとめられたテキスト、熱意溢れる講義、合格へ向けての合理的なスケジュール等、貴学院の総力を結集してのご支援の賜だと思っています。不動産取引の意義や、その重要性に鑑み、個々の取引の安全と円滑化に努めると共に、地域開発に向けての大型プロジェクトへの積極的参画等、まずは、社業を通じて、微力を尽したいと考えています。
貴学院のOB会である九栄会にも入会させていただき、学院との連繋を保ちながら、新しい友人の輪が拡がりつつあるのも楽しみの一つになっております。
岩本博秀さん(イワモトヒロヒデ)
〔九州不動産専門学院No.2041290〕
ライセンスメイト 昭和63年7月号…No.8資格取得で心に張りができました行政(行政書士)
女(25)福岡県福岡市西区私は現在、営業の仕事をしています。1~2年は夢中で働いてきましたが、3年目に入り、これでよいのだろうか、何か資格を身につけた方がいいのでは、と思ったのです。その時、頭に浮んだのが行政書士でした。私は、大学の法学部出身ですので、多少は法律用語になじんでおりますし、とっつきやすいのではないかと思ったわけです。たまたま、貴学院の存在を知り、カリキュラムの良さに安心し、試験日まで間がなかったにもかかわらず、即座に申し込みました。
実際に受講し始めると、受験勉強というよりは大学の講義を聞いているような気になりました。講義はしっかり聞いていたつもりではいましたが、復習テストを受けてみると、ほとんど身についていません。」一般常識も、恥ずかしながら、あやふや。それでも“まだ大丈夫”という気があったのですが、願書を出したあたりから、顔色が変わってきました。一般常識の試験も思ったように伸びませんし、法律の問題集を解いても結果に落ち込むだけです。それなのに、仕事をしていますので、家に帰ってまで長い時間勉強する気にはなりません。そこで、参考書に的を絞りました。一般常識と法令の2冊の参考書を常に持ち歩き、通勤電車の中で読むようにしました。そして、とにかく問題集を解きました。多くの種類の問題集に加えて、講義の折にいただいたプリントも繰り返し解いたのですが、これが一番良かったのではないかと思います。そしてある程度自信がついたら、あとは開き直ることも大切だと思います。あせってみても、かえってミスを招くだけですから。
資格を取ると心に張りが出てきました。前向きに自分の将来を考えることができます。近いうちに、行政書士の資格が活かせる通へ進みたいと思っています。そのために自分がしなければならない道のりがはっきり見えてきました。資格をひとつ取るだけで、これだけ心に張りができるとは思いませんでした。この大切な資格を、ただの自己満足で終らせないよう、今、その達成の時期を探っている最中です。
梶原智恵美さん(カジハラチエミ)
〔九州法律専門学院No.2045930〕
ライセンスメイト 昭和63年7月号…No.7まさに“継続は力なり”ですね宅建(宅地建物取引主任者)
男(30)福岡県福岡市博多区宅地建物取引主任者試験の受験生は、ここ数年増加の傾向にあり、去年の福岡県内受験者数も8000名を超えています。受験をする者にとっては、相当のプレッシャーになる事と思います。問題傾向にしても長文になり、2時間で50問を解くには、問題の理解と、慣れがポイントだと感じます。
私が貴学院にお世話になったのは、上記に述べた様な背景を知っていたわけではなく、宅建試験について全くの素人であり、ただ業務上、必要であったからです。実際に授業を受け始めると、最初は要領を得ず、1週間に一度の授業を受けながら「なるほど、なるほど」と思っていても、繰り返し学習していかないと1ヶ月もすると完全に忘れてしまう状態でした。また6ヶ月間の日程は、長い様でほんとに短いものだと実感しています。その授業を受けている時は、まだまだ先があるし十分やれると思っていましたが、結局、先へ先へと進むにつれて、過去のツケまで全部まわってきました。
テキストは時間があれば、何回も何回も繰り返し目を通す習慣を身につけていましたが、それが、9月に入ってからの追い込みに役立ったものです。たとえば、問題を解いていても「この間題は、テキストのあのあたりにあったな」などと思った次第です。
宅建主要3科目についての点数配分は、講師の先生方より再三言われていましたが、実際には自分なりの目標点を設定し問題を解く様にしましたが、なかなかうまくいくものではありませんでした。常に高めに想定して行くことがポイントだと思います。問題を解いて行く方法にしても、自分の得意分野から入って行くのもコツだと思います。民法で考えすぎて、気付いてみれば後の問題への時間がなくなっていたこともしばしばありました。だから50問を、余裕を持って解く方法を身につける事も、受験勉強の一つだと思います。
最後に、学院の教室の前方に“継続は力なり”という言葉が貼ってあります。「まさにそうだな」と今になって実感している次第です。“自分は絶対に合格するんだ”という気持ちと、自分を信じる事が合格への道だと思います。誰でも試験日が近づいてくれば、当然不安になって来ます。でも勉強して受験をするのは、本人でしかないのですから・・・。その不安を打ち破るためにも、ただ授業だけ聞いておけば受かるという甘い考えは持たず、コツコツと努力し、自分のペースで進むことが栄冠を勝ち得る手段ではないかと思います。
木村京次さん(キムラキョウジ)
〔九州不動産専門学院No.2042190〕
ライセンスメイト 昭和63年6月号…No.6媒介業は売主と買主の仲介役!?宅建(宅地建物取引主任者)
女(39)福岡県北九州市小倉北区私が宅建主任者の資格を取得しようと思ったのは、簿記やワープロ程度の資格は皆さんが持たれていて、何か特殊な資格がこれからは要求されるようになると、自分なりに考えたからです。日本の場合、衣・食・住のうちの住についてはたいへん遅れており、この住の分野の資格がよいのでは?と考えました。そこで、まずは住宅関係の必須資格といわれる宅建主任者の資格を取ろうと思い、貴学院に入学しました。
私自身、今まで不動産とはまったく関係のない分野の仕事をしてきましたから、最初は授業内容など、理解できるのだろうかと心配でした。でも新聞紙上の、数ある宅建講座の学校の中で、貴学院にめぐりあった事はとてもラッキーだったと今になって思います。というのも、講師の先生が基礎的な不動産用語をはじめ理解しにくい宅建業法や民法を、日常的なものにたとえ直して説明して下さるので、初心者の私にもすんなり理解できたのです。たとえば、業法では「媒介というのは業者が新郎新婦、つまり売主買主の仲人をやっていると考えたら良いです」といった具合です。暗記事項の多い法令上の制限も覚えやすくするため、重要部分は図解して説明されるので、頭によく残りました。
このようにして、除々に自信のようなものが湧いてきて、後半の実戦模試では試験のたびに、クラスメイトが良さライバルとなり、本試験では落ちたら恥ずかしいような授業の雰囲気になっていたようです。
最後の講義の日は授業が終了した後に、講師の先生の音頭で食事会を持ち、この場で全員合格を誓いあった事を覚えています。結果は、私を含めてほとんど合格していました。こうした回りの人々に励まされて、やっと合格にたどり着きましたが、スタートしたばかりの4月の入学前には、本当に自分が合格する事などとても考えられなかったことです。
この宅建試験合格が自分自身にとって大きな自信となり、不動産のある程度の法律知識も収得する事ができ、今後は不動産の登記や、測量の分野のスペシャリストの資格にチャレンジしてみたいとワクワクしています。今後共、よろしくご指導下さい。
西山順子さん(ニシヤマジュンコ)
〔九州不動産専門学院No.2043290〕
ライセンスメイト 昭和63年6月号…No.5グループ研鑚で栄光を!!宅建(宅地建物取引主任者)
男(58)福岡県大牟田市私は、三井系の大手企業に30数年勤務しておりました。
定年後の仕事としてこの資格を取得しようと思った動機は、一生涯を貫く仕事として最も良い仕事と思ったからです。最初、独学でやっていましたが実際に勉強を始めてみると、権利関係や法令上の制限、宅建業法の主要3科目について理解できないところが多く、これではだめだと思い、新聞の広告をみて貴学院に入学しました。毎週水曜コースの、民法の基礎講座から始めましたが、講師の方の説明がわかり易く、これならついていけると思いました。それから毎日2時間は復習を実行。復習にのぞんでは、覚えることに興味を持ちくり返しくり返し読み、理解することに努力しました。
それでもわからないところや疑問点が出てきた場合は、ノートにメモしておき、次回質問することにして、確実に自分のものにしていきました。また、講義の内容やテストについて疑問が出たときは、講義修了後、講師の先生に聞いたり、クラスメイトと昼食時に検討し意見を交換するようにしました。
クラスメイトの三人とも合格出来たのは、講師の方の指導もさることながら、三人がお互いに切磋琢磨して努力したことが結果として良かったと思います。
月日のたつのは早いもので、合格してもう4ヶ月になります。知事の免許も取れ開業することが出来ました。これからが大変と思いますが、地域社会に密着した仕事を通して、社会のために微力ながら、貢献したいと思っています。
現在、大牟田は三井系事業所の不況により沈滞しております。不動産業界も同じで、物件の取引は少なく、外部からの人が購入していると聞きます。新たなる厳しい状態が当分は続くものと思いますが、私には知人・友人が多くいますので、その人たちを通して今後とも地道に努力していきたいと思っています。
平田 勝さん(ヒラタマサル)
〔九州不動産専門学院No.2040470〕
ライセンスメイト 昭和63年5月号…No.4自分に合った勉強法が一番宅建(宅地建物取引主任者)
女(25)福岡県福岡市早良区このたび、私が宅地建物取引主任者の試験を受けようと思いたったのは、実は不動産業をしている知人がいて、その人からすごく儲かっている話を耳にしたんです。それを何気なく父に話しましたら、父も以前から不動産業には興味があったということで話が盛り上がってしまい、それでは私が受けてみようということになったのです。それに今までずっと事務職で平凡な毎日でしたので、以前から何か異ったことにチャレンジしてみたいと思っていたのです。
しかし私がそう決意したのは8月末のことでしたので、学院に通いだした頃は試験日まで1ヶ月半しかなく、とても今年は間に合わないのでは・・・という状況でした。しかし私は以前から、長い時間をかけてゆっくり勉強するのは苦手で、学生時代も試験直前の一夜づけというパターンがほとんどでした。そこで短い時間に集中した方法の方が自分に合っていると思い、とにかく先生のおっしゃるとおり、毎日夜間の講義に一日も休まずに通いました。始めの一週間ぐらいは、講義を聞いていてもなにがなんだかさっぱり理解できなくて、「やっぱり私には無理なのでは……」と落ち込んだこともありました。でも、とにかく毎日講義を受けたところを、帰ってから自分なりにノートにまとめてみて、丸暗記するというような方法で勉強をつづけました。半月程たった頃には、やっと講義内容が理解できるようになりました。
その後試験までは、学校でいただいた模擬試験問題や練習問題などを集中的にやり、間違ったところをさらに反復してやるという勉強方法に切り替えました。
このように私が短時間で合格することができましたのも、ポイントを絞ったわかりやすいテキスト、それに加えて先生方の熱心なご指導のおかげだと感謝しております。これを機会に司法書士など、他の難しい試験にも、挑戦したいと思っています。
日高由加利さん(ヒダカユカリ)
〔九州不動産専門学院No.2047310〕
ライセンスメイト 昭和63年5月号…No.3反復学習こそ合格のカギ―昭和62年度福岡県最年長合格者―宅建(宅地建物取引主任者)
男(69)福岡県北九州市小倉南区私は大正1ケタの生まれです。若い人と同じような学習では記憶力もうすれており、すぐ忘れてしまいますので、とにかく試験に合格するためだけの学習方法を自分なりの工夫をして実行していきました。(丸暗記では1週間もたてば完全に忘れていました)。又、テキストの重要部分は紙に書き写して覚える事の繰り返しの連続でした。そして、講師の先生も言われていたように主要三科目のうち宅建業法は十分満点もとれる部分ですから、これで大きく点を落したら致命的だと思います。宅建業法は業者の憲法と言うべきものであり、将来不動産の業務に携わった時直接に関係してきますから、業法は全部覚えても得になる事はあっても損になる事はありません。問題練習については約1900問近くの問題にあたりました。この位の問題をこなすと出題者の主旨もほとんどわかるようになります。問題をやっていく上で大切な事は問題をじっくり読む事と思います。「かつ」なのか「又は」なのか、「宅地」なのか「建物」なのか。数字が出ておれば「以上」なのか「超える」なのかと言った、ちょっとした事でひっかけてある問題もあります。(62年度もそうした問題が結構、出ていたようです)。模擬試験は50問を本来の2時間かけず、1時間40分くらいで解く練習を行い、このお陰で本番でも十分、見直しの時間がとれました。四肢択一式の場合は、四つの肢のうち、三つ知っておけば、残りが全く知らないものが出題されていてもそれが自動的に答となり、やりやすい面があります。
最後にこれからの取引主任者は宅建業法も改正されて、年々その価値が上がってくるようにどの雑誌等をみても書いてありますが、取引主任者の質の向上のためにも大いに結構な事だと思います。私もこれからこの資格を活かしてまだまだ現役で頑張っていきたいと考えています。この宅建の資格は努力さえ怠らなければ、どんな方でも必ず合格すると信じています。この資格をこれから目指される方、頑張って下さい。
村田公信さん(ムラタマサノブ)
〔九州不動産専門学院No.2029020〕
ライセンスメイト 昭和63年4月号…No.218歳で宅建資格取得!―昭和62年度福岡県最年少合格者―宅建(宅地建物取引主任者)
女(20)福岡県春日市私が宅地建物取引主任者の資格を取得しようと思ったのは、高校3年の進路選択の時期でした。資料を見たり、人から話しを聞いたりして、かなり難しいことを知りました。高校の先生の話では、大学の法学部を出てからの方が用語を理解でき資格を取得しやすいだろうということで、とりあえず専門学校の方に聞いてみようと、九州不動産専門学院を訪ねました。
そこで、講師の先生のガイダンスで教材を見せてもらったり、授業内容を聞いたりしました。そして「授業に欠かさず出席し、復習を怠らなければ、初心者でも十分合格できますよ」という言葉を聞き、「この学校ならやっていける」と思い入学を決心しました。早速1ヶ月から、初心者のための民法基礎講座を受講し始めましたが、民法という言葉を聞いただけで「難しそう!」と思っていたのが、とても解りやすい授業で、少しでも理解できたことを嬉しく思いました。でも、高校に通いながらだったため、家では高校での試験勉強の方が優先し、ほとんど宅建の復習までは手が回らず、次に受講した時は、前に習ったことをすっかり忘れているという状態でした。
卒業後、本格的な講義が始まりましたが、初心者に理解しやすいよう、実際あった出来事を例にしたり、簡単なことに例え直して説明したり、時には冗談を混じえたりで、毎回飽きることはありませんでした。
本番の試験でまごつかずにすんだのは、講義が一コマ一コマ印象に残っていたせいだと思います。
授業には欠かさずに出席しましたが、復習はというとさっぱりでした。そうこうしているうちに、はやくも受験の申込みの時期となり、ふと回りを見ると皆、熱心に勉強に取り組んでいるのです。私も頑張らなければと心を新たにしたのが9月でした。
ノートで教科書をまとめ直し、毎日問題を100問は解くようにし、10月に入ってからは、なるべく沢山の問題をくり返しくり返し解きました。それでも、学校の模擬試験では合格最低点がやっとの時もあり、ちょっぴり不安な気持ちのまま本試験に臨みました。
当日は朝から緊張しっぱなしで、頭の中が空っぽになった感じでしたが、試験場で講師の先生に会った時は、心が和みました。「野村さん、力を出せば大丈夫ですよ」と声をかけられ、気持ちが落ちついたのを覚えています。
試験は思ったより難しかったため、半分諦めていたので、合格発表の掲示板に自分の名前があった時は信じられず、帰りかけていた廊下を、また戻って確かめに行ったものでした。
発表日に届けられた祝電や豪華な祝賀会など、学校の心尽くしのお祝いで、「合格したのだ」という実感が湧きました。このように一度の受験で思いがけず合格できたのは、決して私一人の力ではなく、家族の協力や講師の先生の熱心な御指導と学院の方々のおかげだと本当に感謝しています。これからは、この宅地建物取引主任者の資格を十分活用し、いろんなことに役立てていきたいと思います。きっと、私のこれからの人生に大きな役割を果たしてくれることでしょう。
野村百合子さん(ノムラユリコ)
〔九州不動産専門学院No.2041090〕
ライセンスメイト 昭和63年4月号…No.1