つとめて明るく力強く 病は気から
ライセンスメイト篇
平成12年1月号「サイレントマジョリティ 不況に勝ち抜く経営学講座6 教程その5」
仕事は笑顔に集まる
決定打はつとめて明るく、そして力強く振る舞うことである。世の中の苦労と不幸を一身に背負っているような顔はいただけない。そんな顔はキリスト様だけにして、私たちは彌勒菩薩のようにならないといけない。いかなる戦乱・動乱の時もあのご尊顔でこられたのであろう。
そして、そのような顔には自然と信用が集まり、人が集まってくる。信用と人が集まるということは情報が集まるということであり、結局は仕事が集まるということである。
井戸掘りと穴掘り
要は「井戸」を掘っていると思えばいいことだ。水脈に突きあたるまで掘り止めないことが大切だ。1ミリメートル手前で掘りやめればそれは井戸とはいわない。ただの「穴」である。たとえていえば顧客は水脈ともいえる。顧客との出逢いで本日の業務は締めくくられるし、本日も井戸を一本掘ったことになるのだ。絶対に穴掘りで終ってはならない。
平常心の大切さ
つらい顔、苦渋に満ちた顔をしていると人が同情してくれると思っている人がいるが、それは間違っている。かえって疫病神がきたと陰口を叩かれ、人の心が離れていくのがオチだ。こういう時のためにこそ「唇に歌」があり「心に太陽」があるのだ。うまくいっている時は、誰だって鼻歌のひとつやふたつは出てくる。また笑みも自然とこぼれる。しかし、それは凡人でもやれる。リーダーはそれだけではいけない。いつ、いかなる場合にもつとめて明るく、陽気に振舞い、周囲を明るくしていかなくてはいけない。
そして明日を希望あるものにしていかなくてはいけない。人は「今日の苦労の意味」がわかり、「明日の希望の確信」がもてればいいのである。「明るい日」と書いて「明日(あす)」というではないか。リーダーたらんとする者は片時もこのことを忘れてはいけない。リーダーの顔は「今日の苦労の意味」であり、「明日の希望の確信」なのだ。
先輩の明るさ、屈託のなさ
我が国の先輩は本当に屈託なく明るかった。それはそうであろう。欧米白色人種から有色人種の中では唯一国家としての独立を闘いとり、守り抜いたのである。そればかりか、逆に、400年以上に及ぶ彼らのアジア侵略の歴史を根底的に突き崩す戦いに決起し、それまで永々と築きあげてきた植民地支配の構造を3年と9ケ月という短い期間で一瞬のうちに崩壊せしめたのである。これが楽しくなくてなんであろう。西洋人たちが難攻不落と豪語した基地や要塞で先輩諸氏の手によって落とされなかったものはない。日清戦争での威海衛、日露戦争での旅順や奉天、支那事変における南京、大東亜戦争における真珠湾、香港、マニラ、コレヒドール、シンガポール等、我が国の先輩諸氏によって全て攻め落とされたのである。また無敵と謳われた艦隊で撃滅されなかったものはない。清の北洋艦隊、ロシアのバルチック艦隊、アメリカの太平洋艦隊、イギリスの東洋艦隊と。
胆力こそが決定打
死を前にして明るく、力強く振る舞える胆力を我が国の先輩はもっていた。今、企業経営者を取り囲く環境は決して生き死にを賭けてまでの環境ではない。もっとドシッと構え、背筋をピンと伸ばして事に当たるべきだ。憂鬱な顔とかしたら承知せぬぞ、という気迫を自らに迫って業務に邁進すべきであろう。