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中締めにあたり(その2)

ライセンスメイト篇

平成12年5月号「サイレントマジョリティ 不況に勝ち抜く経営学講座8」

 一番ひどい目にあわせたと思っていた敗戦国である我が国が恐るべき経済力をもつに至った背景は本論の〈はじめに〉で述べたことではあるが、国際列強にとっては、同情と憐憫の対象がにわかに商売仇に映ってきたことだけは確かだ。またアジアの支那や朝鮮にとってみれば「自称戦勝国」のプライドが著しく傷つけられたのはいうまでもない。アメリカはアメリカで「内需を拡大しろ」とか「貿易黒字を是正しろ」などと内政干渉し、宮沢首相はそれに屈服する形で「生活大国(=消費大国)構想」をぶちあげた。当然、それは本来、生産時間・業務時間にあてられていた83億2千万時間を購買と消費のための時間にシフト(転換)せざるをえなくする。

 そこで猛烈に鼓吹されたのが「働きすぎキャンペーン」である。「遊びすぎ」「怠けすぎ」の官公庁が自らの食いぶちの基盤である民間企業に対して先手を打って「働きすぎ」とやったからたまらない。本来、反対すべきマスコミも労組を中心にその拡声器になり下がってしまった。かくして、勤勉大国1位の栄冠は今やアメリカに移ってしまったのである。

 かつての我が国の人にとっては働くこと・勉強することは人生そのものだったといっていい。外国から輸入された思想であるマルクス主義は「働くこと」を苦痛といいかえた。「Labour=労働」という本来、日本語にない味もそっけもない言葉を「仕事」に対置しようとした。

 この思想と言葉の土台の上にしか時短操短などという徒花は咲きようがない。我が国の人の働くという行為を「人生」から「苦痛」に大変革しようという試みがまさに「生活大国構想」といえるだろう。

 もっと判りやすく言おう。イソップ寓話の中に「アリとキリギリス」の話があるが、「アリの大国」を強引に「キリギリスの大国」に構造転換しようとしたのが、宮沢首相の「生活大国構想」にほかならない。そういう意味では彼も前に述べた細川首相と同様万死に値するだろう。

 私は一国の青少年に「愛国心教育」をしないと結果どうなるかを身の毛がよだつ思いでこの稿を書いている。かつて、日本共産党が武装闘争を繰り返し、暴力革命を呼号していた時、これでは勝てないと思ったか、日教組とマスコミを使って長期で人間改造をやろう、さすれば、われわれが育てあげた人間が革命日本を作ってくれるであろう、と方針転換したことがある。そして、彼らは長期に亘って学生運動家を日教組やマスコミに潜り込ませることをやってきた。

 「愛国心」があれば「愛社心」もわかるはず、国を愛することができない人が何故、祖先や親を大切にすることができるであろう。「愛国心」があれば「自信喪失」するような外交はしないはずだし、そうさせるような教育もしない。また「愛国心」があれば我が国の先輩諸氏がそうであったようにたったひとつしかない命を国のために奉げることができる。「時短操短」など何をかいわんやである。

 何度もいうが全てを解決するキーワードは「愛国心」であり、「愛社心」である。これさえしっかりしていれば今次の不況には根本的に勝ち抜くことができる。強い日本、そして隆々たる会社を作っていこうではないか。読者諸氏が後継部隊・後続部隊に後ろ指をさされないような、胸をはっていばれるような強い経営をされんことを祈念して中締めにかえさせていただく。